オウミという町に妖魔が一人、迷い込んでおりました。
彼女は元々大勢の仲間達と海の中、海底で慎ましく暮らしておりました。
しかしある時、漁をしていた漁船の網に囚われてしまいそのまま町一番の富豪の元に買い渡されてしまったのでした。
富豪が彼女に執着した為、彼女は逃げだすことが出来ませんでした。


その富豪はどこかに消えた今となっても、彼女は一人、屋敷の地下にある洞窟でひっそりと暮らしておりました。仲間達も彼女の帰りを待ってくれていることでしょう。彼女も外に出たいとは思いましたが、それがなかなかこの洞窟も居心地が良かったのです。
妖魔の世界は上下関係が全てです。力の弱い水妖など、上級妖魔の戯れの狩りの対象でしかないのです。
ここに一人でいることは、考えようによってはどこまでも平和でどこまでも安全なことなのです。
時が止まったように変化のない日々を暮らすことを彼女は幸せだと感じていました。

彼女はとても臆病でした。
臆病にならざるを得なかったと言う方が、正しいかも知れませんが。















しかしそれは長くは続きませんでした。
どこからやってきたのか人間と妖魔の二人組が彼女の平和な住処にやってきたのです。
彼らの話を聞き耳立ててみると、行方不明になったこの家本来の持ち主の捜査にやってきたようでした。人間がしきりに”これだから金持ちは嫌なんだよ”と言い、妖魔の方がその通りと言うかのように肯き返しています。
その妖魔を見て、彼女は思わず全身の鱗が剥がれ落ちるかと思いました。
近寄らなくてもはっきりと分かる、力の持ち主。
上級妖魔、それもかなりの地位にあるであろう者だったからです。

上級妖魔は大体にして自分のリージョンを持っていて、そこから出ることは滅多にありません。
人間と一緒に行動しているような存在は見たことも聞いたこともありませんでした。
挙げ句の果てにはアホかという言葉と共に人間に頭を叩かれたりしています。




「あ、あのう」

「…」



思わず声を出してしまった彼女に、妖魔は視線を向けました。
人間はわあと大きな声を出して驚き、いるならいるって言ってくれよと一人ごちました。
彼女はそれに申し訳ありませんと素直に頭を下げ、もう一度妖魔の方に尋ねました。
それだけ、その存在は異質だったのです。





「あなた様のような高貴なお方が、なぜこんなところへ…?」





問われた妖魔は、首を傾げました。
なんでと言われても。お仕事ですから。ねえ?
そのままじっと見つめ返します。




彼女は見上げながら返事を待ちます。
妖魔は見下ろしながら返事をしている気になっています。
人間は見つめ合う二人にあきれ果てました。





よってその場には沈黙が訪れました。








長い長い沈黙が続き、彼女ははたと思い当たりました。




ま、まさか、私はこの方を怒らせてしまったのかしら!?わ、私のように位の低い者に話しかけられて不快な思いをさせてしまった?!どこかにいらっしゃるという妖魔の君は、美しくない者、人型を保てないほどの低級の妖魔など視界に入れば消されてしまうという、も、もしや、もしやもしやもしや





ひーーっという悲鳴を上げてばしゃりと水の中に消えた妖魔を不思議そうに見つめていたその”高貴なお方”は隣で呆れ果てている相棒を どうしたんだろうね? と首を傾げて見やりました。
相棒はどうしたのじゃねえよ!と妖魔の頭を叩きました。


「バカお前なにカワイコちゃんを怖がらせてるんだよ。美人に嫌がらせするなんてIRPO隊員として失格だぜ失格」


大体お前が言ってることはIRPO隊員にしか通じねえじゃねえかよ!俺だって理解するまで結構かかったんだから始めましてさんには辛いっつの。あ、そうか。みんなわかってくれるから、油断してた。妖魔はぽかりと拳を打ち、どうしようかと考えました。なぜだかわからないけれど、怖がらせてしまったのなら。
脳裏に同僚の言葉が浮かびました。





自分の行動に責任を持たない奴は私が容赦しないわよ






妖魔は迷わず水の中に飛び込みました。












彼女は逃げました。
消されてしまうのは恐ろしかったのです。
しかしふと自分ではない水音を立てている存在に気がつき、後ろを振り返れば先ほどの上級妖魔が何を思ったか水の中を追いかけて来るではありませんか。




彼女は逃げます。
彼は追いかけます。
どちらも必死でした。










最後の一人はその無駄に必死な鬼ごっこを見守ることをあっさり諦め、そのあたりに適当に座り込みました。
そして胸ポケットから煙草を取り出し疲れたように吹かしながらなら、なにやってんだか、とぼやきました。










その後、オウミの町から妖魔の姿が消えました。
しかし、一人の少女に連れられ外の世界に出ていった彼女の表情は、やってきたときに比べればとても明るくなっていたということですよ。



サイレンスと友情が生まれたメサルティムでした(どんな説明だ)
最強はドール女史でお願いいたします



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