アイテム



一人の男が、一人の女に求婚した。
男はローザリア皇太子、カール・アウグスト・ナイトハルト。
女はイスマス候の娘、ディアナ。

二人は世界をかけた戦いの始まるその前日に婚約した仲ではあったが、戦いが終わった今、彼はもう一度求婚したのだ。うやむやになってしまった全てをやり直すかのように、初めから。









世界中を蹂躙した邪悪神サルーインが、勇者と呼ばれた現役踊り子だの現役盗人だとかに倒され、世界中にはびこっていた魔物も人々の手で排除された。
平和。
平和が訪れたのだ。


これでもう、問題はないであろうと仕切直すべく、男はその意志を彼女に告げた。
要するに、ぶしつけながら我が妻に迎えたいと。




しかし、彼女は一筋縄ではいかなかった。
そんなことは昔からよく知っていたというのに!





そのまま彼女の前に跪きかけた男を押しとどめ、彼女は言った。



そんなことをしてはいけませんわ、殿下。私は一介の冒険者です。冒険者に頭を下げるなどということを、殿下がなさってはなりません





ただ、淡々と。
事実だけを並べて。





「真面目な殿下のことですもの、私のことを考えて婚約解消を宣言なさらなかったのでしょうけれど、よくお考え下さいませ?」

「…」

「殿下、お分かりですか?世界征服という夢をお持ちでしかもそれを殿下一代でやろうとお決めになったのなら、他の些細な事にうつつを抜かしてはなりません。婚姻もその手段のお一つでしょう?元々イスマスはローザリアに忠誠を誓っておりました。その思いの強さは私の両親をご存じならば分かっていただけると信じておりますわ。ですから、政略的に見ても私と殿下の婚約は元々意義の薄いことだったのです。それにイスマスはもはや、存在せぬものとなりました。私の価値など全くないのですわ、殿下」

「…」

「婚姻で取り込むならばクジャラートやバファル帝国などを視野に入れていくべきです。一時は協力したとはいえ一度だけでその関係を安定させるなど不可能ですもの。最も、あのクローディアを説得するのは奇跡に近いでしょうが」






そこで初めて、彼女は笑う。
あのクローディアを口説かれるのは、なかなか骨の折れることでしょうね、と。















突然二人きりで話がしたいと皇太子殿下の自室に呼ばれ、事の始終を聞いたかの女傑の弟は思わず唸った。


「…姉さん…」


あの頑としてして反論を許さぬ凍るように青い鋭い視線で、相手が殿下といえども容赦はしなかったのだろう。彼女はいつでも正論を言う。今回も決して間違ったことを言っているわけではない。けれど。

その光景が脳裏にありありと浮かび、アルベルトは頭を抱えた。
姉さん、どうしてそんなに鈍いんですか。いや私も人のことは言えないとよく皆さんに言われますけどいくらなんでもそんな。


姉は殿下に求婚されたときからずっと、これは政略結婚なのよ、と言っていた。
ローザリア中の人々がそう噂してもいたし、ナイトハルト殿下自身がそう言われたという話も聞いた。
しかし、両親と自分だけは分かっていたのだ。





それは表面的なことでしかないのだということを。





幼い頃から親しくさせてもらっているからこそ、その性格はよく分かる。
昔から姉に花やら装飾品やらを土産に会いに来ては、私と手合わせしてくださる方が嬉しいですと断言されていた殿下である。
昔から姉のことを遠回しに褒めては「そのお言葉は他の女性にお贈り下さいませ」と笑い返されていた殿下のことである。




ああ、プロポーズされたとき、夢を見ているみたいと呟いていたのは嘘だったの姉さん?
…まさか”悪い”夢でも見ているみたいという思いだったからなんてことは…?





はじき出された恐ろしい結論にアルベルトが忘れろ忘れろと自己暗示をかけていると、
目の前で黒い悪魔と呼ばれた男が悲痛な面持ちで、掠れた声で呟いた。



「その上、ディアナは」

「ま、まだなにか…?」

「今までお預かりさせていただきました、と指輪を返そうとしたのだ」





彼女は無骨な槍を振り回しているとは想像もつかない細い指から、国を象徴する宝石である青い石のはまった指輪を何の躊躇いもなく引き抜くと、男の手のひらにそっと乗せたのだという。
これをお返しするまで死ねないと思っていました。おかげで今生きているのかも知れませんわと微笑んで。





そして再び沈黙を守りはじめた男を前に。
バファル帝国の姫などよりも、口説くにははるかに骨の折れる姉を思い、弟は静かに、心の中で涙した。ああ、殿下おいたわしや。
心強い仲間であった元海賊やら、絶対的に自由である剣士が聞いたならば『さっさと押し倒せ』とアドバイスしたであろうが、どこまでも真面目な彼にはそんなことは思いつきもせず、ただただその背中にファイトです、と声をかけ続けるにいたった。もちろん、心の中で。















「姉さん」

「どうしたのアル」

「殿下のこと、嫌いなんですか?」

「そんなことあるはずないでしょう!」

「殿下は姉さんのことを愛していらっしゃるんですよ」

「もちろん私もそうよ」












姉はどこまでも真っ直ぐに、真剣に答えるのだ。
殿下にそれはお前が持っているものだ、と無理矢理、強引に、泣き落とし半分で突き返されたらしい婚約指輪は、そんな姉の指で輝き続けている。彼女はそれを肌身離さない。
つまりはそういうことなのだろうと弟は思っている。




「敬愛は、しているわ」




そういうことであればいいな、と思っている。



アルベルト編を遊んだことはないのですが…これがわからな(もういいよ)