虫を退治し菓子を食む

真剣な表情でカウンターの裏の共同台所から出てきた後輩は、本を読んでいた彼女の前にすっくと立ち、今大丈夫ですかと重々しく言った。
その眉間の険しさといいのっぴきならない状況であることを彼女は読み取った。
彼女は細工物の栞を静かにはさんで本を閉じると
どうした、と静かに問うた。



どうしたゆかりそんな顔をして…まさかゴキブリでも出たのか?殺虫剤ならロビーの棚に

バレンタイン。

は?

バレンタインって知ってますか、美鶴先輩。

聖バレンタインがローマ皇帝に逆らって若者達を結婚させ、処刑された日だろう。

日本の風習の話レベルです。

ああ、女が男に菓子をやる日だ。

…聞くのも馬鹿らしくなってきましたが、誰かにプレゼントしたことありますか。

そうだな、お父様と食事をしたことはあるが…なにかものを渡すというのはないよ。

でしょうねえ…。

それがどうかしたのかゆかり。

あのですね先輩。明日、何の日か知ってますか。

ああ、なるほど。明日がバレンタインデーだな。

ここまでネタを振って分かってもらえなかったらどうしようかと思いましたよ。で、ですね。今から風花とお菓子を作ろうっていってるんですけど、一緒にどうですか?

それは楽しそうだ!…しかし自分で作ったものを自分で食べられないのは残念だと思わないか。

あーあーちょっとなら味見していいですから!残りちゃんと包んできちんと渡してくださいよ!?

誰に?

……………。風花ァー。ダメだわ。あたし完璧お手上げ。

なんだなんだ。どうした岳羽そんな顔をして。またゴキブリでも出たんなら退治するぞ?

あたしはそんなに殺虫して欲しいような顔をしてるんですか!!もう!誰のためを思ってこんなに心砕いてると思ってるんですか!将来私に感謝することがあっても知りませんからね!!!



怒り心頭の面持ちで共同の台所に駆け込む後輩の姿を見送り、上級生二人はあっけに取られて顔を見合わせた。これまで二人で静かにおくってきた寮での生活から考えると、彼ら後輩達の喜怒哀楽の激しさにたまについていけないことがある。
青年が帰ってきたまま手にした鞄と上着を置くのも忘れ、彼女の消えた扉を見つめて口を開いた。




…どうしたんだあれは。腹でも空いてるのか?

そうかもしれない。風花と菓子を作るとさっきまで張り切っていたから、菓子が完成すれば落ち着くだろう。

人間腹が減ると人格が変わるからなあ…。ああ、ちょうどいい。これを渡しておいてくれ。さっきリーダーに余っていると貰ったんだが、俺は食べないからな。

チョコレート菓子?ああ、これならゆかりも喜ぶな。ありがとう。

どういたしまして。



コンビニで一袋100円程度で買えるであろうビニール袋に包まれた甘いものに対して礼を言えば、渡した青年は俺が買ったわけでもないしなと前置きし
お前もひとつ貰ったらどうだ?たまには庶民の味に触れておいたほうがいいぞと笑った。















そんな調子で何年チャンス逃してるんですか先輩達!いい加減にしてください!!

…なんの?
…チャンス?





季節も時期も外しまくりです。
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