犯人はこの中にいる

それで、とこの国を現在動かしている男は言葉を繋げた。
それで?と花は首をかしげて、ああ丞相はなにか話したいことがあるのだなと思った。そしてそれは確実に仕事の話ではない。隠そうとしているのかしていないのか上がる口元を見やればそれはすぐに分かることであった。
花は上司である男に指示されて仕事の報告をしにきたのである。報告を終えて下がろうとしていたのである。まあこの孟徳という男が自分から呼び寄せておいて単に報告だけで帰すはずもなく、やれ珍しい菓子があるからお茶でもしていきなさいだのやれ良い石が入ったので似合う飾りを作ってあげようだのなんやかんやと捕まるのが日常のことであった。な、ものだから初めのことは仕事がありますからと困惑していた花もすっかり慣れてしまい"今度は何ですか"とおとなしくその場に留まることを覚えた。丞相は相手が困惑する姿を楽しんでいるのだから、お前は「それがなんですか」という顔をしていろ。それが一番相手の興味を無くして開放されるまでの近道だ、とは上司の言葉でそれは大変的を射たものであったのでああさすが付き合いの長い人は違うなあと花は大変感心したものであった。

「それでね、花ちゃん。あの堅物との進展はあったの」

堅物、とは上司のことであろう。この自分で決めた優先順を何よりも大切にする丞相は花の上司であり自らの補佐である男に一言で言えば"黙って働け"と日々叱られている。そのような仕事一筋仕事以外に生きる価値なんてあるんですかと言わんばかりに睨みを利かせる自らの補佐官が若い女子と一緒に仕事をしている、しかも特別目にかけているらしいなどということは、孟徳にとって大変珍しく大変愉快なことであるので、何かといっては花とその上司を捕まえてなんのかんのと聞き出そうとするのである。ああ、恋愛話好きな子ってどこにでもいるんだなあと花はしみじみ失った故郷のことを思い出す。友人たちもそうだった。好きなタイプは、とか年上か年下かなんて聞いて盛り上がってたもんなあ。
盛り上がるのはいいが無理やり盛り上げようとするのはどうかとは思うけども。


「君たちほんと真面目というかなんというか、このままだとご老体になっちゃうんじゃないかと俺としても心配でね。君たち豪雨で誰もいない小屋に一晩2人っきりっていう状況でもなんにもないって言うからさ。あのときは本当に耳を疑ったよ。だからほらこの間は誰もいない部屋に酔っ払わせておいて一晩2人っきりって状況にしてみたんだけどどうだったかなあって思って」


文若に聞こうと思ったら会った瞬間ひっぱたかれたからさあ。あいつ仮にも国を治めるものをなんだと思ってるのかねまさか出会い頭に一撃食らうとは思わないだろう。いやあ意外と紙の束って重いし結構痛いものだね。

先日の宴会の様子がまざまざと蘇り、ですよねという声を上げそうになるのを花はどうにか飲み込んだ。普段は使用していない客間のほうに水差しを取りにいってくれなどと指示されて行ってみたら昏睡する上司が倒れていて介抱しようかと近づいたら軋んだ音を立て戸が閉まりどこか錆び付いていたのか立て付けが悪いのかそのままうんともすんとも言わなくなるなんてよく考え付くものである。

ここのところの疲れが頂点に達したところで酒類を摂取した酒に弱い文若と、故郷に帰れば未成年でありアルコールなんて摂取したことはほとんどないというのに宴会では明らかに度数の高いそれを大勢から薦められて口にした花が揃ったところでなにがあるというのか。
客間ということもあり、床は毛の長い敷物が一面に敷かれ積まれ椅子や机に埃がつかないようかぶせられた布を拝借すれば立派な寝床である。できれば天井と壁は欲しいけれどどこだって寝られる花にとってはこれが寝られずにはいられるか、という状況であったのだから本当になにもなかったし、なにも起こりようがなかった。

朝大変申し訳なさそうな顔をした元譲が助けに来てくれた時点で状況と犯人と犯行動機をすべて把握した上司はもはやそれが通常の表情であるしかめ面で「こういうことに頭を使う時間があるならもっと有効活用してくれ」と額を押さえていたことを思い出し、花は笑いそうになるのもあわせてどうにか飲み込んだ。
ここで隙を見せたら花の負けなのである。

ここで少し恥ずかしそうなそぶりを見せたりしようものならすわ現役女子高生かという勢いで食いついてくるのが孟徳という男である。確かに、酔っ払った上司その人が体を小さくまとめるようにして床で寝ている姿は顔から想像できない可愛らしさがあったし寝ぼけたのか花の肩に頭を乗せてきたときにはなんですかこの人かわいすぎるんですけどと叫ぶのを精一杯こらえなくてはならなかった。危ないところではあった。

どうしたものかと花は再び首をかしげた。ここは上司の言うとおり「それがなんですか」という顔をして「それがなんですか」と返すのが一番の正解なのである。しかしここ連日の問答で彼がそれだけでは満足しないことも分かってきている。頭の中で慈悲の欠片もない上司の言葉が蘇る。"お前は仮にも軍師なのだから丞相の対処を覚えて策をたてろ"。

しばらく沈黙を守り頭を悩ませていると、孟徳はなんだかその眉間に皺をよせる姿は誰かさんに似てきたねと笑い、黙っちゃうってことはやっぱりあの糸目にいかがわしいことでもされたのかなと笑った。

花は大真面目な顔をして大丈夫です、と答えた。










「口にできる程度のいかがわしいことしかしてませんから」





















では、これで失礼します。丁寧に頭を下げ退室したその姿をしばし黙って眺めていた孟徳は突然はじけるように笑い出した。ああこれはまずい。いつのまにかこの国には大変賢く生真面目で口達者なものが一人増えてしまっていたではないか!







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このふたりは花ちゃんのほうが頑丈で面白い。
(精神的にもどこでも寝られるという意味でも)