クレイジータクシー

しかし気になりますねぇ、と助手席の男が唐突に言った。運転席に座る男の部下はまたかよという表情をサングラスの下に隠す気もなく押し出しつつなにがですか、と律儀に尋ねた。これでも配属された直後から比べれば大分慣れたものである。この気難しい上司を無視したところで、自説のお披露目からは免れまい。黙って聞いているだけでいいのかと思えば近頃は自分に意見まで求めてくるのである。思えば少し前まで「あなたの意見は聞いていません」などと失礼極まりない台詞を吐き出されていたことを思えばこれは進歩ではなかろうかと運転席の男は思う。まあ男も男で、黙って拝聴するだけでなくたとえ上司とは逆の意見でも口に出すだけの根性は持ち合わせているのではあるが。


「杉下さんは今度はなにが気になるんですか」

「君はなにが気になると思いますか」

「そうですね…僕としては台所回りだけ妙に片付けられていたというのに違和感を感じます」

「いいところに気がつきましたね。そうです、シンクに残っていたのは湯呑がひとつだけでした。もし被害者が毒入りのワインを呷って自殺をしたのだとすれば湯呑を使うとは考えにくい。その上被害者はあれだけの立派なワインセラーを持っている愛好家です」


自説を嬉々として語る上司に、部下の男は発言権を求めて左手を上げた。


「お言葉ですが」

「どうぞ」

「たまたま使えるグラスがなかったとか、最後だからなんでもいいと思って手元の湯のみを使ったということも考えられると思います。僕たちは現場を見ていませんから、なんとも言えませんが」

「その可能性もゼロではないでしょう。写真に写っていたグラスハンガーには一つもグラスが掛けられていなかったようですからねえ」


なんにせよ一度現場を訪れたいものですねえと締めた上司に、まあ僕たちには現場がどこなのか教えてもらえないですもんね、と部下は答えた。いつも情報をこっそりと漏らしてくれる鑑識課員はあっちにこっちに引っ張りだこのようで捕まえることができないでいた。
とりあえず我々は今できることをしましょう、と被害者の足取りを追ってはみたもののめぼしい情報は出てこなかった。もしかすると、と部下は思う。この上司はなにか掴んでいるのかもしれないけれど、きっと最後まで教えてはくれないだろう。それに、ただ一方的に教えられるのはなんだか悔しい。自分は何か別の方向から考えてみなければ。
負けず嫌いだと言われるが、それがどうしたというのだと部下は思う。負けず嫌いで結構。あとをついていくだけだなんてまっぴらごめんである。
部下の密かな決意に気がついたか気がつかなかったか、真面目な表情で突然黙った部下を少し愉快そうに眺めて、上司はどこか満足げに視線を前に向けた。













では僕は先に戻っていますから、と職場の前で降りた上司は、おやこんにちはと声を上げた。その視線の先を見やれば捜査一課の見慣れた顔触れ。部下の男は駆けていたサングラスを律儀に胸ポケットにしまい、どうもと頭を下げた。人材の墓場所属側から見ればいがみ合っているつもりはないのだが、相手は全く正反対のようで二人の姿を認めるとまたお前らかよと物言う視線をびしびしと送り「こいつは警部殿に警部補殿、こんな時間にドライブとは結構なことですね」と嫌味を吐いた。ドライブなどではなくまた何か事件に首をつっこんでいることは百も承知なのであろう。今回は余計なことしないでくださいよ、と効果は全くないことが分かり切っている呪文を口にしつつ、そんなこといってもどこでだって現れますけどね、この方々は!などと余計なことを言う後輩の首根っこをひっつかみ捜査一課の男がその場を立ち去ろうとしたとき、ああそうだ、という声がその背にかけられた。



「なんですか、警部殿」

「いえ、どこかにお急ぎのようでしたのでねぇ。もしよろしければこの車を使っていただければと思いまして。」

「…警部補殿の車でですか?」

「やぁ僕、杉下警部を送り届けたらこの後暇になっちゃったんです。この先ずーーーーっと暇ですから遠慮しなくていいですよ」

「そうですね、我々は暇ですから」

「ほんと、困っちゃいますねー」



うっすらと笑みを浮かべて物言う警部と楽しくてしょうがないといった笑顔でにこにこと言う警部補の顔を何かうすら寒いものを見るかのように見ていた男に、首根っこをひっつかまれていた後輩が「いいんじゃないすか先輩!」と能天気な声を上げた。いいじゃないすか。現場に大至急来てくれって三浦さん言ってましたし、今から車出すよりきっと早いっすよ。
言われた男はしばしの間特命係の力を借りるなんてそんな腹が立つことできるかというプライドと現場に直行できるという現実を天秤にかけていたようであったが、僅差で現実が勝利したらしくそれじゃあよろしくどうぞと警部に苦々しく言った。
その背後で警部補の男が密かにこれで場所押さえました!という笑みを浮かべ、警部に手を振ったことに気がつかなかったのは幸いであった。
















「ああ、ひとつだけ」
「まだなんかあるんですか」
「シートベルトはしっかりとしてくださいね」
「は?わざわざそんな常識言っていただかなくても」
「はあい出発」

その瞬間、ぎゅうんとタイヤの軋む音と共に警部の前から一台の車が姿を消した。













マリオカート並みにぶっとび運転の神戸くんカーに吹っ飛びかける捜一。たぶん到着するころにゃダウンする。
最近厭味の応酬が少なくなってきましたが、警部と警部補にはぜひ喧々囂々やりやっていただきたいと思っております。