サークルアース

いちのひがし

欧米文化というものは、と一見少年にすら見える小柄な男は執務室の椅子に背筋良く腰かけたままぼんやりと考えていた。
長きにわたりひきこもっていたその弊害がでたのか、昨今の欧米事情には全くついていけない。最近同盟国となったかの友たちとは無人島に流され川の字で眠ったこともあれば同じ炬燵を囲んでうとうとテレビを見た仲ではあるがなかなか理解できないことも多々あった。少し太陽が出ていれば躊躇なく脱ぎだすだとか、挨拶代わりに抱きしめられるだとか。脱ぐのはまあいいとする。本当はちっともよくないが忍耐の二文字を数千年前から装備している男にとって、見慣れるまで耐えきればいいだけである。慣れてしまえばこちらのものである。

問題はもうひとつ、挨拶についてであった。
一歩下がって頭を下げることが一般的であった男にとって、距離間ゼロですっ飛んで抱きついてくることが挨拶に値するなどとは全く思いつかなかったのである。
とけきったような歓声と自分の名を呼び飛びついてきた友を弾き飛ばしたのは記憶に新しい。普段滅多なことでは怒らない男がぽこぽこと頭から湯気を出して怒る様子を突き飛ばされた友はなになに?なにがいけなかったの?タイミング?飛び込み角度の甘さ?などと頭上にはてなを大量に浮かばせそれなりに真剣に考えていたようだが結論には至らなかったらしい。友の頭にはとりあえず「簡単にハグを求めてはいけないらしい」というところだけはインプットされたようで「俺ももっと頼りがいのある存在になるよ!ハグの許可がでるように!」と見当違いの気合を入れていた。

そんな友の様子を見て、ああこれは欧米社会ひいては世界では普通の挨拶の部類に入るのかと男は考えを改めた。手と手を繋ぐ握手でさえあまり慣れていないというのに挨拶で抱きつかれるなどとはレベルが高い。高すぎる。
しかし世界を相手にすると決め、閉じこもった部屋から勇気の一歩を踏み出したからにはこのようなところで躓いているわけにはいかない。腐っても年を経ても日本男児、欧米諸国のしきたりの前に崩れ落ちるなど、この程度で諦めるなど世界各国が許してもお天道様が許さない。かくして、男の猛特訓が始まろうとしていた。

目標は唯一つ、挨拶を世界標準レベルに。

男が勘違いをしていることがあるとすれば、男の誓う最終目標はどちらかと言わずともかの脳内パスタの友人に置いての標準レベルであり、世界標準的に見ればかなり偏っているということであろう。














にのにし

今日も今日とて訓練になっているんだかなっていないんだかとにかく一日を精一杯やりきって解散という声を上げれば友の一人がやったーおわったーじゃあ夕飯食べにいこうぜおれおなかすいたあといつも通り身勝手な台詞を吐いた。その花が咲き誇っているかのごとくとろけきった笑顔でやったね今日の晩御飯おれパスターと宣言する友にお前は常にパスタだろうがと返し、男はもう一人の友にお前はどうすると声をかけれいつも通り何を考えているのだかさっぱり読み取らせない表情で今日は簡単に済ませますので遠慮させていただきますとの返答が返ってきた。いつも通り全く思考を読ませない表情であった。
そんな友人にだいぶ慣れてきた彼はああきっと疲れたのだろうと考えた。敵が攻めてきたときのシミュレーションを話し合い実習を重ねた本日の訓練はいつにもまして辛く厳しいものであった。水道管片手に迫ってくる奴だとかハンバーガーを奪いに来る奴だとかリオのカーニバルの格好で迫ってくる奴の撃退方法についてあれやこれやとシミュレーションを繰り返し、そのあらゆるパターンの撃退法を考えるのは大変な作業であった。こちらのやり方にも慣れていないだろうに、懸命についてくるかの友人の姿には胸を熱くさせるものがあった。傍らでパスタパスタピッツァパスタと呪文のように繰り返す笑顔のこいつにも少しは見習って欲しいと男は考えたが5秒で諦めた。無理だな。

せめてかの真面目な友人だけでも体を壊さず頑張ってもらいたい(何分、彼は結構な老体だというし)と考え、彼は夜食を持って彼の部屋を訪ねることにした。軽く扉を叩き声をかれば返ってきたのは沈黙のみ。もう休んでしまったのかと思いつつ、もう一度戸を叩こうとしたところ、部屋の中から部屋の主の静かな声がした。こちらの準備はできています。さあいらっしゃい。静かに淡々とのたまうその台詞に奇妙なものを感じながら男は入室の許可であると考えた。休んでいるところすまない。夜食を持ってきたのだがと戸を開ければそこに見たものは真面目な友がキモノ(彼の故郷の勝負服だそうだ)を着て腰を据え、何かを受け止めるような姿勢で立っている姿であった。さあどうぞぽちくん!と友がもう一度口を開けばかの友人の愛犬が返事をするかのように一声鳴き、勢い込んで主人のもとにすっとんでいく。がっしりとその小さな毛玉を受け止めて、やはりぽちくんでは重さが足りませんかね、と呟いたところで皿に載せたスープとパンを持った男の姿に気がついた。

友はその腕の中に愛犬を抱いたままゆっくりと振り返った。その表情にじんわりと笑みが広がる様子を、男は謎の恐怖をもって見つめた。


「見ましたね」


友は小首を傾げ、微笑んだ。


「ばれてしまっては仕方がありません。こうなれば、ご協力願います」


さあこの胸に飛び込んでいらっしゃい!とその細い腕を目いっぱい広げ宣言する友人になにを、だれが、なんのこと。明らかに見てはいけないことだったらしい出来事をばっちり目撃してしまった男はその叫んで逃げ出しだくなる恐怖をどうにかこうにか飲み込んだ。ああ俺にできることなら何でもする、何でもするからその凄みのある笑みをひっこめてはくれないか。
真面目で勤勉だが何を考えているか大変わかりにくい友人に心の中で訴えながら男はとりあえず手にした夜食をテーブルの上に置いた。この出来事のきっかけが、今頃食堂の片隅でお腹いっぱいだあなどと言いながらうつらうつらしているもう一人の友人だということはまだ、気がついてはいなかった。














さんのにし

その小さな後ろ姿が見えた時、彼のスイッチは否応もなくオンになった。おはようと挨拶を叫べばその背中がゆっくり振り返る。それが振り返り終わる前にハグしてーーー!と叫びながら自ら友のもとに飛び込

みかけた瞬間彼の溶けた脳にようやくぱちりとスイッチが切り替わる。あ、やっべー前に同じことして俺ふっとばされなかったっけーってなに?なにその構え?なんだっけこの間見たやつだええとスモウ?ってなんでスモウの構え!?頭では滅多にないほど目まぐるしく思考が駆け巡ったが時はすでに遅し。気がついたときには小さな友にがっちりと抱え込まれていた。う、うえええなにこれ!?なになに、ハグは平気になったってこと?と尋ねれば修行の成果です、とのこと。よくわからない。
よくわからないけれども、この生真面目な友人が自分のためになにかの練習、友人の言い方を真似ればシュギョーをして自分の挨拶に答えてくれたのだと思うと、彼は大変嬉しかった。わあいいい友達を持って俺は幸せだよーと全身から花を咲かせんばかりに幸せオーラを発し、目の前の小柄な友人を持ち上げくるくると回す。そして目の前の友人の頬に、ハグから一段階引き上げた”挨拶”をしてみせた。(これはしょうがなかったのだと彼はのちに語る。彼にとっては家族や友人に対し当然の行為であったのである)








彼が再びぶっ飛ばされたのは言うまでもない。

















この方々はボケとツッコミとボケツッコミがそろっている大変バランスのいい関係だと思います。一番苦労するのはいつでもどこでもどんなときでもツッコミです(ひどい)
しかしこのツッコミも天然ボケをかますので侮れない。