何か欲しいものがあるか、と尋ねられた。
どうしたのかと尋ねてみればもうすぐ記念日でしょうと返された。記念日、ああそうか。もうそんな時期か。目の前で笑うこの人がここへやってきた日のことを彼女は今でも思い出せる。朝起きたら当然のようにここにいて、当たり前のように朝食を作っていた。先生に(そういえばあのころからあの人のことを先生と呼び始めた)この人はどうしてここにいるのか尋ねたところ、彼はどこか吹っ切れたように笑って、どうしてでしょうねえ、これから毎日ずっとここにいますよとか言っていた。自分と相棒はその頃全く他人などに興味はなく、自分が生きていくのに精一杯であったから誰が現れようが誰が消えようがどうでもいいことであったのをよく覚えている。それからしばらく経って彼女は誕生日という概念を知った。ひとは生まれた日を毎度毎度祝うものらしい。そういうものなのかと相棒と二人で言い合った。こういう生き方をしているものなら生まれた日など知らないのが当たり前である。生まれた日を数え重ねるほど生き延びるものは少ない。どこまでも当たり前でありがちな話。先生が言うには先生と会ってから一年はすぎた、らしい。ということは少なくとも自分は生まれてから一年は過ぎているというか。生まれた日など考えたこともないと言った子供たちに彼女はそれじゃあどうしましょうか、と腕を組み、小さな手のひらを打ち鳴らした。ああ、そうだ。それじゃあ好きな日を記念日って言うことにすれば良いわあ。好きな日付といわれても。何も思いつかなかったので、じゃあ今日、と彼女は言った。適当に答えてしまったが、なぜだか先生は喜んでいた気がする。





それからもう何年たったものか。
何か欲しいものとかして欲しいこととかあるかと尋ねられ頭に浮かんだのは先ほどこの城の図書館での光景。母親が小さな子供を持ち上げ、高いところの本をとる手助けをしていた。

あ、あれだ。あれをやってもらいたい。ああ、でも悔しいかな私は目の前の彼女より身長があるのだ。というか自分は職業柄身軽であるからそれすら必要なかったりもする。ああ悔しい。出会ったばかりのときにねだってよければよかった!いや、出会った時点ですでに私の身長のほうが高かった!なんてこと!

彼女は黙りこくった娘を首をかしげて見守っていたが、そのあまりに悔しそうな表情に思わず目を見張った。サギリちゃん、サギリちゃんどうしたの?何がそんなに悲しいの?
なだめてもすかしても口を割らない娘から聞き出すことを彼女は諦めた。
きっとよほど何かほしいものがあったのだろう。
だけれど、今は手に入れられないのだろう。


彼女は手を叩き、じゃあ好きなものを作ってあげましょうと笑った。
そういえば、ここへ来たときに持ってきたケーキの本がどこかにあったはずなのよねえ、あれにたしかサギリちゃんの好きなクリームのケーキのレシピがあったはず。
ああどこにしまったかしらねえ、来たときにすぐには使わないからってどこかにしまって…あの上かしら。
指差すは台所の上、作り付けの棚。
この船の台所自体彼女の身長ではきついものがあるため、彼女は手製の踏み台の上で作業をしている。そんな彼女に天袋など届くはずがない。
あらやだわ、そういえば先生に片付けていただいたんだったかしら、ちょっと先生を呼んできましょうか。と椅子から腰を上げた彼女の背中を見て、娘はああ、と理解した。

ああ、これだ。これをわたしは。













ひゃあという奇怪な悲鳴を聞きつけて奥の部屋から顔を出した探偵は、探偵助手によって腰をつかまれ持ち上げられふわふわと不安定にゆれる小さな事務員の姿を確認し、すわ何事かと首をかしげた。天袋に入れた何かを取ろうとしているようだが、サギリがフヨウを持ち上げたところあと一息で届かないらしい。もうちょっと右かしらいや左だわ!ああ行き過ぎ!と一生懸命なフヨウを軽々と支える娘はそれはそれは楽しそうであった。表情には浮かばないものの。
あなたが一人でやったほうが早いのではという言葉を、探偵は飲み込むことにした。
あんなに楽しそうな人々に水を差すほどの罪悪もあるまい。

しかしこのままでは100年かかっても目的に手が届くことはなさそうだ。





彼は軽く手をはたくと二人の元へゆっくりと近づく。
私も年をとりましたからねえ、二人いっぺんに支えるのはきついですかねえなどと思いつつ。









3周年企画でリクエストいただいたもの。
フヨウさんマジ天使という気持ちを込めました。