その名の通り、水のように透き通りたゆたう指輪を掲げて、男は満足そうに肯いた。
これで、天空の盾が手に入る。じゃなかった。フローラと結婚して、ルドマンさんから天空の盾を貰える。あれ、一緒だ。
口には出さない。
一度口に出して隣にいる幼なじみに 人の人生をもの貰う貰わないで判断するな とボコボコにされた記憶はまだ新しいから。
いやでも実際、それが一番の問題なのだ。
本当は指輪を手に入れたら誰か、本当に結婚したい奴にこっそり渡してしまうつもりだったのだが、一番の有力候補であったフローラを想いに想って腹痛を起こしそうなタイプのアンディは腹痛どころか全身火傷でぶっ倒れてしまった。何考えてんだ!ムチャしなきゃ幸せになれたんだぞ、僕もお前も!
何度ベッドに倒れている男をぶん殴ってやろうと思ったことか。
しかし、どうにもならないものは、どうにもならない。
父の意志を継いで母を助けるためには天空の盾が必要なのだし。それには結婚しなくちゃならないし。
口には出さない。
それも口に出して隣にいる幼なじみに 人生を諦めるみたいな顔をして求婚なんてするな とこてんぱんにされた記憶はほぼ昨日であるから。
そう、幼なじみ。
本当に小さな頃自分の前にいてやれ年下なのだからムチャするなだのやれオバケ退治に行くからついて来いだのと大変強気な幼なじみその人が、今の自分の前にもいる。
彼女はあの時と全く変わらず、さあさっさと帰りましょ!と手にした鞭を振り回している。
その勇ましき後ろ姿。
あとで本人から聞いた話によれば、幼い頃のオバケ退治も、本当は怖かったのだそうだ。
今も、もしかすると同じ気持ちなのかもしれない。
それを奮起には変えてみせてはいるものの。
その背中は振り返らず、少しずつ彼から離れていく。
自分の手の中には結婚指輪。
そうか、そうかなるほど。そういうことか、自分。
気がついてみればあまりに当然な自己解決。
「ねえ、ビアンカ」
「どうしたのアベル。物凄く不細工な顔してるわよ。眉間に皺なんか寄せちゃって」
「結婚したくなくなっちゃった」
「………」
「ビ、ビアンカ…?」
「何のためにこんな蒸し暑いところまで来たと思ってるの!ただでさえきっかけは天空の盾のためなんて人として最低な気持ちで指輪を取りに来て、ここにきてそんな冗談なんてあなたってば本当に最低!フローラさんとアンディさんに謝りなさい!フローラさんのお家の方向むいて謝りなさい!」
「ご、ごめんなさいごめんなさい」
「大体ねえ、パパスおじさまのためにも私はあなたには幸せになって貰いたいのよ。アベルったら昔っからぼーーーっとしてどっか明後日の方向見てるし、ここぞというところで引っ込み思案になるし、考えてること全部顔に出るし、ファッションセンスはないに等しいし、ここで逃したら一生次はないわよ!」
「…その考え方も…フローラさんに失礼じゃ」
「ザ」
「周りまで巻き添え食らわすのは勘弁してください」
「ねえプックル。こんなおばかさんは今日のばんごはんにしちゃおうか」
お腹壊しますやめてください、と賢いキラーパンサーは思った。
大体自分の主人は(彼的に真の主人はその横の女性だとは思っているが、まあ一応)、魔物に対しては分かりやすすぎるほど感情表現がダイレクトなので伝わりやすいのだが、それが人間相手になるとまあ、なんというか、直球勝負すぎて相手にされないことが多い。なんでもかんでも『はい』『いいえ』ですむと思っていること自体、人間に生まれたのが不幸の始まりだろう。本人が気にしていないならいいけれど。
いや前に仲間の魔物同士でそんな話になったときがあったが、もしご主人様が魔物でも嫁さんにはしたくないという満場一致で結論が出たっけか。まあそれはともかくとして。
ご主人が見知らぬ女性を妻という名の仲間にすると聞いたとき、彼は驚いたものであった。
その位置には姐さんがいるではないか。
他の魔物達とは違い、命を助けて貰ったという一生の恩義が彼にはあるわけで、仕えるのならば彼女しかありえないのであった。
ご主人だって、姐さんと再会した時は大喜びであったのだ。まるでこども時代に戻ったかのようにわーいと歓声を上げ、姐さんの父親を笑わせ姐さんに呆れかえられるぐらい喜んでいたのだ。
あの姿と来たら。
まだ生まれたてであった自分が姐さんにじゃれつく姿と同じではないか。
この赤ん坊主人は、今何かをきっかけにして感情が吹き出してきたのであろう。
それを言わずにはいられなかったのだろう。
姐さんに痛いくらいの駄目出しを食らうことは分かっていながら。
…どうにかしてくれとキラーパンサーは静かに項垂れる。
「大体何で今そんなこと言い出すの」
「いやなんか、ビアンカの後ろ姿見てたらこう、つい、むらむらと」
「な、なんで!?変態!」
「いやそう言う意味だけど!そういう意味じゃなく!」
「衝動でそういうこと言わない。はい、さっさと帰るわよ」
「じゃあ分かった。天空の盾いらないから結婚しなくてもいいですか」
「目的を!忘れるな!」
魔物を一撃で黙らせる鞭を唸らせて、彼女は怒鳴る。
その恐ろしい光景に男も思わず口を閉じた。
もう、これは何を言っても無駄だと、男は黙って肩を落とし、心の底から悲しんでいる様子であった。それは魔物が見てもそう思えるのだから、怒鳴った彼女もそう感じたことであろう。
痛々しいまでの沈黙。
その沈黙に耐えきれなくなったのは、彼女。
元々持ち合わせていた彼女のお節介属性が発動し、思わず男に優しい言葉をかけてしまったのだろう。
それが彼女の敗北の原因になったことをキラーパンサーは知ることになる。
「じゃあ、分かったわ」
「…なにが?」
「フローラさんの方から断ってきたら、私が貰ってあげる。なんてね、冗だ」
「やった!それプロポーズで良いよね?」
「は?!ちょっとアベル聞いてる!?冗談よ、冗談!」
「言質は取ったからね!証人はプックルで」
「ちょっと待って、ちょっと待って…!」
「待ちません」
じゃ、僕からもきちんと行動で示しておこう
な、なにを!?い、いや、わかったからしなくて良いわ!良いって言ってるでしょ!や、やめてー!
などという言い合いがなされる中、目に入ったのは主人がその場にひざまずき、きいきいとヒステリーを起こしたように咆哮する女性の手を取り、目を伏せ、ゆっくりとその手を自らの顔に引き寄せるその姿。諦めたように首を振り、その影2つにくるりと背を向け頭を伏せた魔物はまったくもうと独りごちる。
あなたみたいに疎い人がどこでそんな仕草覚えてきたんですか、全く。
床に顎を着けため息をつくキラーパンサーとは裏腹に、これでいい?と満足そのものと言った表情で彼女を見上げた男の頭に、彼女の改心のチョップが振り下ろされたのはほぼ同時であった。
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3周年企画でリクエストいただいたもの。
アンディは主人公ともっと話し合うべきだったという気持ちを込めました。