「寝れば?」



青年はその言葉に、見下ろす彼女の顔に目線だけ上げるだけにとどまった。
ぴちゃり、と響く水の音。
沈黙。

返ってこない返事を彼女は求めなかった。
彼女は頭を左右に振り、だから、と続ける。



「寝たほうがいいと思うわよ」

「今はまだ昼だろ…ここじゃさっぱりわかんないけどな」

「昼でもなんでも寝ちゃいなさいよ。どうせすることないんだし」

「そんな年がら年中寝られねえよ。ヤンガスじゃあるまいし」

「なんでもいいから何にも考えないで目をつぶって横になってなさいって」

「はいはい、気が向いたらな」

「いいから」

「そんなに俺の隣で眠りたいって?ハニー」


普段であれば彼の行動を呆れはすれど最終的には放置する彼女の言葉だとは思えないほど彼女はねばっていた。
普段であればそんな彼女を軽くあしらうであろう彼も、子供のように彼女にいちいち口答えをした。
彼だって、出来ることならそんなことはしたくない。
しかし正直な話、気がまぎれるのならなんだっていいのだ。
口煩い母親のようにからんでくる彼女の言葉でさえも。

気がつけば彼女の視線が目の前にあった。しゃがみこんだらしい。
あのね、と彼女は口を開いた。そんな状態でいられるとね。
そのまま、大真面目な顔をして、当然のことのように、続けた。


「正直、鬱陶しい」


そして耳元で囁かれる魔法の言葉。




















薄紅色の煙に包まれて崩れ落ちた青年の姿を確認した彼女は、よしと大きくうなずき手を払った。
我ながら改心の出来の呪文であった。伊達に毎日練習していない。なんていったって時間だけは腐るほどある。
牢獄の中でやれる有意義なことなんて、腹筋か武器の素振りか呪文の練習くらいである。
彼女は振り返り、様子を見守っていた仲間達に声をかけた。



「任務完了よ。これで暫く平和になるわね」

「いやあ鮮やかなもんでげすなあ」

「ありがと。ヤンガスも必要だったらかけるわよ」

「いやあっしには必要ねぇでげす」

「それもそうねえ」

「しっかしゼシカも偉いねえ。ククールのあんなふてくされた態度に怒らないなんて」

「あんな死んだ魚みたいな目をしたやつを怒ったってしょうがないわよ」




なにごとも表か裏か、黒か白かの人である彼女が、彼女が出来る精一杯の範囲で気を使ったのだろうと彼は思った。
話しかけてもひねくれた言葉で返ってくるか、必要以上にからんでくるかのククールは、間違いなく寝ていない。
解決できないことを思い悩み続け、けれども決してそれをほかに漏らすことはなくただただ深みに沈んでいく。

どうにかしないとね、と三人で話してはいた。
話してはいたが、まさかよりによって彼女が実力行使に出るとは思っていなかった。
それはきっと眠りの浅かった彼への彼女なりの思いやり。


思い切り力の限りどこまでもとてつもなく乱暴ではあるものの。








彼は安らかな顔で寝息を立てる赤い服の男を横目に、その横暴で乱暴な優しさに少しだけ涙した。





















「でもラリホー覚えててよかったわ」

「なんで?」

「ほかにあの鬱陶しいのを黙らせる方法ってその辺のつぼでもぶつけて気絶させるしか思いつかないから」

「…じゃあ次はそれでいってみようか」