あげる


ドラマの仕事が決まった。しかも主役である。
最近音楽活動が多く芝居は久しぶりであったためこれはいつも以上に努力をしなくてはなるまいと気合十分に台本を事務所で受け取り、そのまま雑誌の写真撮影に向かったところ自分より早くに撮影を終えていた友人がそこにいて、おつかれ!と明るい声を出しどこから仕入れた情報なのか真斗のドラマの仕事についておめでとう!とはしゃいでみせた。
友人はまず真斗が主役に抜擢されたことを自分のことのように喜び、昔やったドラマのリメイクだといえば再放送で見たことあると盛り上がり、ちょっと変わり者だけど頭がよくて事件をどんどん解決する役ってぴったりだと思うよ!と大変嬉しそうな様子で笑った。そんなに褒めてもなにも出ないぞと真斗もつられて微笑んだところ、彼はきらめく笑顔で続けた。

「この主役の面白いところはさあ、結構偉いのに毎回現場に車で登場しないんだよね」

彼はそこで友人から無慈悲な言葉を聞くことになった。
その言葉を字面で省略して簡単に並べると「マサ、自転車で乗って登場するんだね!」となる。






リメイク前のシリーズを見ていなかったため、大まかな話か知らなかったが調べてみればどうやらその認識は間違っていなかったらしい。この変わり者の主役刑事は自転車に乗ってやってきて自転車に乗って去っていくのである。撮影の合間に中で確認したが台本にもそのように書いてあったので逃げ場はない。全く不名誉なことであったが真斗はこの二輪の乗り物に乗ったことがなかった。下手をすると触ったこともないかもしれない。移動手段といえば車かヘリかという生活は世の中的には大変偏っていたものらしいということに気がついたのは早乙女学園に入学してからのことである。学校を卒業し社会人となり人並みに世間にもまれてはきたとは思うものの、まだまだ自分には足りないことがあるのだなと真斗は静かに考える。ああそうだまだ気がついていないだけで自分には世間一般の常識が欠けているところがあるのだろう。自動販売機に当たりくじがあるだとか、コンビニで振込みができるだとか、風呂の残り湯で洗濯機を回すだとか。学生寮に入らなければ知る由もなかった。
それはともかく、台本である。台詞を覚えること自体は得意であるので長台詞だとしてもそれほど苦にはならないだろう。あとは前作シリーズを見て雰囲気を勉強することも忘れてはいけない。そして自転車である。
大体練習しようにもどうすればいいのか。今更じいに頼むというのも家から離れられていないようでなるべくならば避けたい。そういえば黒崎さんが自転車に乗って颯爽と仕事場に出かけているのを見ている。恥を忍んでお願いしてみるべきかと頭を抱えそうになるのをどうにか堪えつつ撮影を何とか終え、後片付けをしていると携帯が受信を知らせる光を発していることに気がついた。差出人には渋谷、という文字が並び先日レコーディングの手伝いをしたことに対しての礼が丁寧に書かれていた。レコーディングはおかげさまで無事完了したので何かお礼がしたい、と続いたその文面に友人なのだから当然のことをしたまでで、気にしないでくれと返信しかけたそのときに真斗は閃いた。礼をしてもらうほどのことをしたつもりはないが、きっとこちらが折れるまで彼女はいつまでも気を使うであろう。彼女は義理堅く、口も堅い。そして今まさに、自分は大変困っている。うってつけではないだろうか。
彼は携帯の文字を簡潔に打ち、彼女の返事は早かった。




[オッケーオッケー 教えてあげるよ。撮影いつから?]




友人思いの言葉に大変感動して、彼は携帯電話を握り締めた。ああ持つべきものは自転車に乗ることができて義理堅く口が堅い友人である。撮影日を連絡しようとしたところで即諾の返事の下にまだ文字が並んでいることに気がつき、静かに画面をスクロールすると絵文字も顔文字も一切ないメッセージがそこにあった。





あたしが請け負ったからには絶対に撮影までには乗れるように猛特訓しよう。乗れるまで泣いても許さないから覚悟するように。






臨むところだ、と真斗は口角を上げた。
力が入りすぎて少し震えた手で携帯電話を握り締めて彼は心に誓う。いつも以上に努力をしなくてはならないと初めからわかっていたことなのである。だから、絶対に泣くまいと。




















「なあレン、聖川知らねぇ?俺ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「特訓だそうだよ」
「は?」
「秘密の特訓をするので今日は少し遅くなる。心配無用。…ってメモが机にあったからね。用事なら明日にしたほうがいいんじゃないかな」
「…秘密って自分で言ったら駄目じゃねえの?」
「ツッコミそこなのおチビちゃん」










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自転車を教えるともちゃんと3回に2回くらい凄まじい音と共にひっくりかえるマサやん。
リクエストありがとうございました!!