Kppie's Fine Art_01-02 |
彫刻と絵画の本質 |
レオナルド・ダ・ヴィンチと ミケランジェロの接点 |
バザーリ(16世妃イタリアの人:画家・建築家)の『ルネッサンス 画人・彫刻家・建築家列伝』という本の一節に「・・・ミケランジェロ・プオナローティとレオナルド・ダ・ヴィンチとの間には、互いに大きな蔑(さげす)みの感情があった・・・」 |
1> 誇り高き二人。 |
☆ システィーナ礼拝堂の壁画を依頼され「私は彫刻家であり、画家 ではない!」と ローマ法王に言い放ったミケランジェロ。
(キヤロル・リード『光る石』) |
☆ 作品の褒章として莫大な金額を提示されたのに「私は三文画家
ではない!」とフランス国王に断ったレオナルド。
(前出『画人伝』) |
2> 二人の関係 |
フィレンツェの街角で石のみを振るうミケランジェロの近くをレオナルド(当時から、彼は名高い芸術家の間でも飛びぬけた天才として神のように尊敬されていた)が通りかかった。「馬の彫刻も完成させることのできない老人が・・・」とミケランジェロは聞こえよがしにつぶやいた。レオナルドはきびすを返すと、「何を言うか、石彫り人夫の若造が」と、苦々しくつぶやいた。こんなエピソードは枚挙にいとまがない。ルネサンスを代表する偉大な二人ではあるが、どちらも自尊心が強く、互いに歩みよろうとはしなかったことは、バザーリの各列伝やルネサンスに関する近年の研究からも定説と考えてもよさそうだ。
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3> さて本題 |
・レオナルドの芸術観
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「万能の天才」として名高いレオナルド(近年の研究で科学・工学・医学・文学・音楽・・その万能振りがますます再認識されている)であるが、ルーブル美術館の『モナリザ』(油絵)をはじめ彼の絵画はいずれも(紙の切れ端にメモされた植物のスケッチまで)地球的・人類的遺産である。
彼自身も自らを画家と自覚し、その中で芸術における絵画の優位性を「・・・絵画は、もともと奥行きを持った対象を、奥行きも量感も持たない平面の中に表現する。人のないうる営みにこれ以上の芸術があろうか。それだけではない。私の編み出したスフマートの技法*をはじめ優れた画家の目と精神と技術により、絵画は、対象の持つ真実の姿をより純粋な真実と、対象が持ち得なかった特質までも、無から有へと付加することができるのである。」と迷べペている。
註※ 柔らかな色のぼかしのこと‥・後の画家たちもこの技法を学んでいるが、レオナルドのスフマートは神がかり的で誰もこれを超えることはできていない。・・・また、ルネサンスの後半に発明された油絵という技法とその可能性を広げたのも彼の功績といえよう。「彼なくして、絵を語ることはできない」とは、シラーの言葉である。人類史上最大級の存在である。
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・ミケランジェロの芸術観 |
「神のごときミケランジェロ」と若くしてその才能を謳われたミケランジェロであるが、サンピエトロ大聖堂の『ピエタ』(大理石)をはじめ彼の彫刻の存在もまた地球的・人類的な遺産である。
絵画でも有名な作品が遺されている。システィーナ礼拝堂を訪れた文豪ゲーテは「ミケランジェロの天井画と祭壇画を見ずして、人間が何をなし得るかを語ることはできない」と語った。
彼は、「彫刻こそが神が創造した人間のもっとも偉大な芸術である。」「もともと石の中にモーゼが埋もれているのだ。彫刻家は、石から余分な部分を取り除き、眠っている彼を取り出してあげるにすぎない。余分な石が取り除かれたそのとき、モーゼは石ではなく、新しい生命としてよみがえる。石が石でなくなるのだ。」と語っている。ダビィンチと対比して別の言い方をすれば、無から有を生み出すのではなく、有から命に置き換えるということかも知れない。
歳をとるにつれ彼は細部に手を入れない作品を遺しているが、これは対象の生命を傷つけてしまうことを畏れたからと言われている。「ミケランジェロの未完成」と呼ばれ、彼の精神世界が見える。
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up 03.Oct.2003 |
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