2015年11月15日  (過去メッセージのリンク)

「主にある関係」 コロサイ信徒への手紙31841

 パウロは、信仰を単なる心の問題として収めていません。夫婦関係、親子関係、周囲の関係の中で、信仰が言動として現われるなら、良い影響が広がってゆきます。キリストを信じる信仰をどのように表すべきなのでしょうか?

1.キリストの心で愛する

今日の聖書箇所の中には、「仕える」という言葉が三回、「従う」という言葉が二回登場し、命令として語られています。どちらも現代の日本に住む私たちにとって受け入れがたい言葉です。なぜ人に仕え、従わなければならないのでしょうか?それは、私たちが、幸せになるためです。仕え、従う関係は、愛と秩序と安定感があります。イエスの生涯を一言で言うなら、それは「人に仕える生涯」でした。その方を主としている者として、私たちも仕える人として生きてこそ、幸いを得ることができます。相手に対する愛とは、キリストの心であり、無条件で、不変の愛です。それが、日常生活の充実、幸せにつながってゆくのです。

2.主に対するように接する

クリスチャンは、人との関係において、もう一つの別な視点で人を見、接します。相手をイエスのように見、イエスに対するように接すことです。なぜキリスト教が影響力のある宗教となったのでしょうか?伴侶や両親、子供、周りの人たちを愛し、仕えるようになり、良い影響力が広がったからです。主に対してするように、うわべでなく、心から愛を表してゆく時、そのことが可能になります。主が見ておられ、評価してくださるという気持ちで、人と接してゆく時、愛と秩序と安定感のある関係を築いてゆくことができます。

人を無条件かつ不変であるアガペーの愛で愛し、主に対するように人に仕えることによって、私たちは幸いを得ることができます。主の愛で愛し合うことは、二千年間のキリスト教会の歴史でもあります。主にある関係を深め、周りに良い影響力を及ぼしながら、神の愛を広げてゆきましょう。

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