巻頭言 

「食する言葉」 詩編11997104

  1. 御言葉に生きる経験を重ねる

「わたしはあなたの律法をどれほど愛していることでしょう。」とあります。イスラエルの子供たちは、抱っこされながら、添い寝されながら、昼も夜も神の律法を聞かされて育ちます。少し大きくなると、愛と共に心に刻まれていった御言葉を、瞑想しながら、自分の内側に取り込んでいきます。神の律法を他人から聞くだけではなく、自分のものとし始めるのです。教養、年齢、経験も与え得ないものを神の言葉は私たちに与えることができるのだと、詩人は歌いました。御言葉に生きることによって、彼は98節以降のような経験を重ねたのです。求める心をもって聖書を開くなら、神様は最高に知恵ある人生を送らせてくださいます。


  1. 食事のように御言葉を頂き続ける

 聖書を読まず、御言葉に触れなくても、信仰生活は続くように思えますが、それは食べないで生きているような状態です。詩人は「あなたの仰せを味わえば、わたしの口に蜜よりも甘い」と言いました。一見、甘くはない御言葉も、じっくり味わい、瞑想し、自分の中に取り入れ、適応させていくうちに、神様が私たちに与えたいと願っておられた祝福へとたどりつくようになっています。だから、詩人にとって「あなたの仰せは、蜜よりも甘い」のです。

 

御言葉を食事のように、自分のうちに取り込むには、まず時間を確保しなければなりません。そして、「読みたい!」という欲求が出てくるほどまでに、聖書に生きる習慣をつけましょう。御言葉を味わい、自分の思いや考え、計画や行動、人間関係に結び付けていきましょう。そのようにして、生きていく時、皆さんは数年後に今よりもさらに御言葉を愛する人になっておられるでしょう。私たちがまだまだ経験していない癒し、解放、喜び、力がこの聖書の中にはあります。「神様の言葉は私にとって甘い、麗しい言葉だ」そう歌いながら、私たちも信仰生活を送っていきましょう。

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2015年6月28日  (過去メッセージのリンク)
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