巻頭言 

「主の守り」 マタイによる福音書613

テレビでサッカーの国際試合を見ていて、なかなか点が入らないと、ため息が出ます。日本サッカーの弱点として、よく言われるのが、決定力不足です。さて、信仰の強い人とはどのような人でしょうか?主の祈りの最後にあるのは、守りと救いを求める願いです。どんな意味があるのでしょうか?

1.誘惑から防御する姿勢

私たちは、むしろこう祈るべきでは?と感じてしまいます。「われらを誘惑に負けない者とし、悪い者を打ち負かす力を与えたまえ。」 イエスが教えられる勝利の方法は、防御の姿勢を持っているということです。人間の歴史を通じて、悪魔は人間がいかに誘惑に陥りやすい弱点を持っているのかを知り抜いています。私たちに近づき、優しい言葉で、私たちの心の内側にある欲望を刺激するように笑顔で語りかけてきます。自己過信は、思わぬ失敗につながってゆきます。「誘惑に遭わせず」と神に祈る防御の姿勢が大切です。

2.神により頼む姿勢

私たちの、決定的な勝利は、イエスキリストの十字架の贖いの御業によって確定しました。途中で無効になったりすることはありません。ところが、私たちは、未だ悪魔の誘惑に遭いやすい状況の中に置かれています。ですから、私たちが、神の子として喜びある信仰生活を送ることができるよう、「救いたまえ」と祈りながらこの地上での生涯を送ってゆくべきことを、主は伝えておられます。主イエスが悪魔の誘惑にどう戦ったのかが記されています。荒野で40日40夜断食された後、悪魔は近づき、誘惑しました。主は、神により頼み、神を褒めたたえ、栄光を現わすことで、悪魔を撃退し、勝利しました。そして、私たちに、そのように戦うべきことを模範として示してくださったのです。

主の祈りは、教会の祈りとして、二千年間、続けて捧げられてきました。この祈りを共に捧げながら、主の守りと勝利を求めてゆく者となってゆきましょう。

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2015年6月21日  (過去メッセージのリンク)
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