巻頭言 

「赦しの幸い」 マタイによる福音書612

イエスは、弟子たちに、「だから、こう祈りなさい。」と語っておられます。適切な祈りを通して、私たちを幸福に確実に導いてゆく目的があります。「負い目を赦したまえ」という祈りを通して、どんな祝福を受けることができるのでしょうか?

1.神との関係の回復

仲の良い友達と喧嘩をしてしまった経験があるでしょうか?「どうしてあんなことを言ってしまったのだろうか?」 と反省することもあるし、気分が沈んでしまい、食欲も出てこないこともあります。しかし、喧嘩した相手と仲直りすることができたら、うれしいし、気分が軽くなります。赦し、赦されるという経験は、私たちにとって、霊的に必要なことです。さて、聖書は、私たちに神とは赦す神であると示しています。罪赦されたという思いこそ、偉大であり、霊的に最も必要なことです。私たちが過ちを認め、神に赦しを求めて祈るなら、神は罪を赦し、親しい関係を回復してくださいます。

2.心の重荷を取り除く

教会は、神に赦された者たちの集まりであり、教会の素晴らしさは、「赦し赦され」という関係にあります。人に恨みを抱き続けることは、心と体を消耗させてしまいます。消化器系内臓の機能が低下し、栄養を吸収しづらくなり、健康を崩してしまうことがあります。ですから、人を赦す理由は、何よりも自分の健康を保ち、幸せになるためです。誰かに対して恨みの気持ちが起こった場合、その思いをストップさせ、気持ちを切り替えてゆくということが大切です。それは、健康に生きる大切な思考回路です。

神に赦されて生きること、そして人を赦してゆくことは、幸せに通じる道です。人との関係における回復と同時に、神との関係回復を経て、霊的な幸いを得てゆくことができます。「赦し赦され」という神の祝福に与ってゆきましょう。

2015年6月14日  (過去メッセージのリンク)
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