巻頭言 

「日々の必要」 マタイによる福音書611

主イエスは「必要な糧を今日与えてください。」と祈るよう教えています。日本に住む私たちは、飽食の時代に生きています。どうして、毎日の食事のために祈らなければならないのでしょうか?

1.神により頼む

この祈りについて、不思議に感じます。どうして一日分なのでしょうか?私たちは一日分どころか、十年分、三十年分の食料を確保しておきたいと感じます。誰しも、不安定、不確実な将来にできるだけ備えておきたいと願うものです。しかし、たとえ十分備えたとしても、明日のことが分からないのが私たちです。日用の糧を与えたまえと祈る毎日を過ごすことで、神により頼み、神の御前で正してゆくことができます。出エジプトした民に、天から毎日、必要な分だけのマナが降ってきました。私たちを生かし、毎日の必要を満たしてくださる神様に信頼する生き方こそ、安心できる生き方です。

2.恵みに感謝する

私は、時々、食前の祈りを忘れることがあります。しかし、お祈りをしなかったとしても、食べることができなくなったことはありませんでした。祈っても祈らなくても同じ結果なら、祈らなくてもいいのでしょうか?祈って与えられると言う順序が大切です。祈るたびに、神の恵みに気がつかされ、感謝することができます。神に与えられた恵みに感謝することは、幸せな毎日を過ごす一つの条件です。私たちは、恵みに対して鈍感であり、与えられていることが当然であるかのように過ごしてしまいます。同じ条件で生活しても、喜びを感じる人と、そうではない人がいます。


今日生きるために必要なものを備えてくださいと祈り願うことは、幸いです。心に安心感と喜びを与えて下さる神に栄光を表わし、祝福のある毎日を過ごしてゆきましょう。

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2015年6月7日  (過去メッセージのリンク)
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