巻頭言 

御心のあらわれ」 マタイによる福音書610

教会には、日常生活では使用しないキリスト教用語があります。「御心」という言葉もその中の一つです。主イエスは、私たちに御心が行われますようにと祈るよう教えておられます。どのような心の姿勢で祈ったらいいのでしょうか?

1.神の心を知ろうとする姿勢

御心とは、すなわち、神の思い、願い、意志という意味です。私たちは、どちらかというと、私の気持ち、願い、意志というということが、心の中の多くを占めているのではないでしょうか?ウェストミンスター小教理問答書に、祈りについてこう記しています。「祈りとは、神の御心に一致することのために、・・・私たちの願いを捧げることです。」 すなわち、祈りとは、神の御心に、私たちが近づいてゆけるよう願うことです。 まさに、「御心がなりますように」というこの主の祈りこそ、祈りの中心部分であり本質です。私たちが父なる神に要求ばかりではなく、その御心を知ろうとすることは、大切なことであり、成熟のしるしとなる願いです。 

2.神の思いを行動で表そうとする姿勢

さらに言うなら、神の御心を知っているだけでなく、神の御心に従って行動することができる人こそ成熟した信仰者です。私たちは、神の御心の実現のために召し出されたといえます。出エジプト記によると、神は、奴隷として苦しんでいたイスラエルの民をお救いになりました。その救いの最終目的は、苦しみからの解放ではなく、彼らを礼拝の民とすることでした。すなわち、神のみこころの実現のための奉仕者として彼らは救い出されたのです。私たちも、神の救いの最終目的を見失わないようにしたいものです。私たちは信仰者として、父なる神の御心を知り、行動してゆく時、喜びがあり、神から生まれたという誇りをもって生きることができます。

2015年5月24日  (過去メッセージのリンク)
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