巻頭言 

「御名の栄光」 マタイによる福音書69

祈りとは何でしょうか?私たちは、「このことを実現させてください」という神への願いが祈りだと考えます。ところが、主イエスが、弟子たちに教えた祈りは、まず、「主の御名があがめられますように」という言葉で始まっています。その祈りを通して、どんな祝福があるのでしょうか?

1.自分の立ち位置の確認

さつきが丘に引越しして間もない頃、迷子になりました。すっかり夜になっており、見慣れない場所で、急に不安になりました。自分が今、どこにいるのか、わからないこと、それはとても不安なことです。逆に、自分がどこにいるのかを知ることは安心です。自分の立ち位置を知ってこそ、正しい道を選んで家に帰ることができるからです。「神の御名が崇められますように」という祈りは、神を神とする祈りであり、自分が被造物であり、神こそ崇められるべきお方だという確認でもあります。聖書では、神を神とすることを大切なこととして語っています。神はご自身を「エル・シャダイ」と自己紹介なさいました。それは、全能の神であり、必要を備えて下さる神という意味が含まれています。神を神とすることで、私たちは、安心感を覚えることができます。

2.自分へのこだわりからの解放

私たちには、幸せな人生のイメージがあります。経済的にも、仕事の面においても、健康面においても、「もっと豊かな生活を送りたい」という根強い願いがあります。主イエスは、私たちの心にあることと、まったく逆のことを祈るよう導かれています。まず、「主の御名に栄光を」という祈りです。世の中には、物やお金、名声や権力など、いろいろな誘惑があります。それらに執着し始めると、それを得なければ、不幸だという思いに捕らわれ、その価値観に縛られるようになり、結果的に、世にコントロールされてしまい、幸せを見失ってしまいます。地上の価値観に、染まりやすい、そんな私たちが、「御名をあがめさせたまえ」と祈ることで、自分へのこだわりから解放され、もう一度正しい立ち位置に戻ることができるのです。

神の御名があがめられるよう求め、神から安心と幸せを頂きましょう。

2015年5月3日  (過去メッセージのリンク)
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