巻頭言 

「祝福の源」 創世記12章1~9節

旧約聖書に登場するアブラハムは、完全な人ではなく、むしろ欠点を持っていました。しかし、彼は信仰の父と呼ばれ、祝福の源となった人物です。彼の生きる姿勢からどんなことを学ぶことができるでしょうか?

1.主の言葉に従う

新しい年度を迎えました。それぞれ、希望的な計画を持っていることでしょう。けれども、多くの場合、明確な将来が見えているわけではありません。私たち人間は、近い将来であっても、はっきりと予想できるというわけではありません。そのような立場で言うなら、四千年前に生きたアブラハムと同じ境遇だと言えます。神は、75歳だったアブラハムに現れ、ご自身のご計画を示されました。そして、「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」と記されています。聖書箇所の中で最も重要な言葉のひとつです。「聞いた」、「学んだ」ではなく、「従う」ことは、大きな決断が伴います。神が示す地とは、どんな気候で、どんな農産物が取れるのか、周辺状況がどのようになっているのか、情報としてまったく知らされていません。まったく分からないままの出発でした。しかし、彼の信仰姿勢は、私たち一人ひとりが神に求められている姿勢でもあります。祝福の源となってゆく者として、主の言葉に従う行動が大切です。

2.感謝の礼拝を捧げる

アブラハムは、カナンの地に入ると、神に再び語られました。「あなたの子孫にこの土地を与える。」という言葉です。注意したいのは、「あなたに与える」ではなく、「あなたの子孫に与える」と言われたことです。「子孫と言われても、すでに自分も妻も年老いており、成就するようにとても思えないが・・。」そして、「すでにその土地は、カナン人が入植していて、自分たちが入り込む隙間もないが、どうすればいいの?」アブラハムはたくさんの疑問を感じたことでしょう。そして、この疑問は、私たちの信仰生活の中にも、たびたび起こることです。「これでいいのだろうか?」という迷いの中、私たちは、将来を見ています。神の御心は、最初から具体的に示されているわけではなく、従ってゆく段階の中で、徐々に明らかにされてゆくものです。一歩一歩、神に従いながら、進んでゆくというのが、信仰の歩みです。祝福の源とされたアブラハムは、あらゆる疑問を感じる中にあって、「祭壇を築いた」とあります。祭壇を築いて主に祈るという姿勢を持っています。神はそのような者を祝福の源としてくださり、周りの人たちを潤す者として、用いてくださいます。迷いや疑問を感じる中にあっても、神に、感謝の礼拝を喜んで捧げる者となってゆきましょう。



2015年4月19日  (過去メッセージのリンク)
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