巻頭言 

  1. 極刑、大変残酷な十字架刑

十字架の刑は、想像を絶する激痛と、飢え渇きの中で、死ぬまで放置されるそうです。死ぬまで1週間もかかることがあるような極刑です。イエスさまは朝の9時に十字架に付けられ、午後の3時に息を引き取られました。約6時間で息を引き取られたのは神さまの配慮だったのかもしれません。

  1. 十字架の周りの人々

そのような激痛を伴う十字架をめぐり、多くの人たちが関わっています。事なかれ主義の総督ピラト。イエスを十字架にと叫ぶ群衆。イエスさまの十字架を背負わされるキレネ人シモン。十字架のもとで、イエスさまを愚弄する兵士たち。一方大勢の婦人たちは悲しみの中にいました。「本当に、この人は正しい人だった」と神を讃美した百人隊長。イエスさまに代わって十字架刑を免れたバラバ。イエスさまと十字架に架かった二人の罪人。様々な人たちがいます。私たちは、この十字架の出来事を読むとき、どこに立って読んでいるでしょうか。兵士や群衆のようにイエスさまを愚弄しているか、していないか。イエスさまの十字架を悲しみつつもイエスさまの復活を信じているか、いないか。十字架をめぐる人たちは二分されます。私たちはどちらにいるでしょうか。

  1. 二人の罪人との会話~「わたしを思い出してください」

イエスさまと共に二人の罪人も十字架に架けられました。そのうちの一人は「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」とイエスさまをののしります。しかし、もう一人の罪人は、「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。・・・この方は何も悪いことをしていない。」と言ってたしなめます。そして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(42節)と振り絞り言います。「私を助けてください」ではなく、「思い出してください」と言うのです。人は誰からも忘れ去られてしまうことほどつらいことはないと思います。イエスさまは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(43節)と答えます。「わたしと一緒に」、しかもそれは、「今日」、今なのです。この言葉を聞いた罪人はどんなにか慰められたと思います。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。・・・たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」(招詞イザヤ491516)と神さまは言われます。私たちは様々な悲しいこと、解決ができず苦しむ出来事に直面します。しかし、そのような私たちといつも一緒にいて下さるイエスさま、しかも今日、今、みなさんの隣にイエスさまがおられ、覚えていて下さるのです。
(内田一郎)



2015年3月22日  (過去メッセージのリンク)
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