巻頭言 


「真実の御言葉」サムエル記下71829

みなさんはどんなときに感謝をしますでしょうか。普通は、何かいいことがあった時、自分の利益になることをしてもらった時、そんな時に「ありがとう」と言うのではないでしょうか。また、願っていたこと、祈っていたことが、その通りになった時、やはり感謝すると思います。つまり、何かがあって、その後、その結果に対して感謝するのが普通だと思います。しかし、聖書においては、そうではないのです。それが普通ではないのです。

 神から最も愛された人、旧約聖書のダビデを見れば、それがわかります。彼は、本当に深く神様に愛されました。ただ、それは彼が完璧な人間だったからではありません。彼は姦淫の罪、そしてそこから更に酷い殺人の罪まで犯してしまいます。これだけでも、ダビデは神様によって厳しい裁きを受けてもしょうがない者でした。しかし、神様はダビデを愛し続け、守り続け、その子孫への栄光まで約束されたのです。なぜ、ダビデはこれほどまでに神様に愛されたのでしょうか。

 その秘密は、ダビデの祈りの中にあると思います。ダビデは本当にいつも祈っている人でした。そして、その祈りの中には必ず「感謝」がありました。ダビデの感謝は、決して恵みをいただいた結果に対する感謝ではありませんでした。彼は、まだ見ぬ結果に対しても、先に感謝しているのです。神様が与えてくださるものが、自分にとって悪いものであるはずがない、という完全に神様を信頼しているからこそ祈れる感謝の祈りをささげているのです。

 イエス様も同じような祈りをされたことがありました。四千人に七つのパンと小さな魚を分け与える時、イエス様は感謝の祈りを唱えてから、これを裂き、弟子たちに渡した、とあります。まだ結果を見ないうちから、感謝をささげる姿です。神様が溢れる恵みをくださることを、イエス様はわかっていました。そのことに感謝したのです。

 ダビデもイエス様も、そこまで神様を信頼できたのはなぜでしょうか。それは、御言葉は真実であるということを知っていたからです。サムエル記下の7章でダビデは言います。『主なる神よ、あなたが御言葉を賜れば、その祝福によって僕の家はとこしえに祝福されます。』ただ、御言葉があれば救われる。その信仰があって、ダビデは常に感謝することができ、結果、神様に愛されるものとなったのです。

高橋寛幸

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2015年3月15日  (過去メッセージのリンク)
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