巻頭言 

「関わり」ルカによる福音書102537

マザー・テレサの有名な言葉に『愛の反対は憎しみではなく無関心です』というものがあります。では無関心の反対は何でしょうか。文字通り、関心、それは関わること、関係を持つことです。つまり、愛とは、人に関わること、人と関係を持つことだと言い換えてもいいかもしれません。

 有名な「善きサマリア人」の喩えで、イエス様は律法の専門家の問いに対して「隣人とは誰か」を語ります。追いはぎに襲われたイスラエル人を助けたのは、同じ国の祭司でもなく、レビ人でもなく、仲の悪い隣国サマリアの旅人でした。この喩え話はただ「隣人とは誰なのか」を語っているだけでしょうか。そうではありません。イエス様は、自らも大切にされた旧約聖書の御言葉『隣人を自分のように愛しなさい』をとりあげて、「隣人とは誰か」だけではなく、「愛するとはどういうことか」を教えられたのでしょう。祭司もレビ人も、見たのに避けて通って行きました。関わろうとしなかったのです。ここに愛はありません。しかし、サマリア人は憐れに思って近寄ってきたのです。この人に関わりを持とうとしたのです。それが愛だと。イエス様は言いたかったのではないでしょうか。愛は「関わり」から始まります。そして始めることが一番大切なのです。サマリア人はそれをしたのです。

 人を愛する、愛を持って関わるとは、簡単なことではありません。人を本当に愛するためには、まず自分が愛されているということを知る必要があります。神様は常に私たちを愛して下さっています。それを実感できない人もいるかもしれません。神様は何もしてくれないと思っている人もいるかもしれません。しかし、神様は私たちが振り向く時、私たちが呼び求める時、必ずそれに答えてくださる準備を、常にしておられる方です。

『思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたのことを心にかけていてくださるからです。』とペトロは言いました。神様はいつも私たち一人一人のことを気に掛けていてくださる方です。私たちが神様の方を振り向けばいいだけなのです。

 神様の愛を知り、それを人に分かち合い、人に関わって行ける者、そして人に関わって行ける教会でありたいと切に思います。それを一番喜んで下さるのもまた神様なのです。


高橋寛幸

2013年2月15日  (過去メッセージのリンク)
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