巻頭言 

「生きている希望」ペテロの手紙Ⅰ139

この手紙の著者や執筆年代については様々な見解があります。しかし内容から分かることは、この手紙は迫害下にあった信徒に向けて、キリスト・イエスにある新生の恵みを思い起こさせ、復活による希望を伝えようとしていることです。聖書の中に「希望」という言葉は数多く記録されていますが、希望そのものが生きていると表現するのはここだけです。その根拠が「キリストの復活」なのです。

 東北にある東日本大震災被災地支援に関わることになり半年が過ぎました。現地はもうすぐ丸4年を迎えます。その中で思うことは、今まで読み語ってきた聖書の言葉が本当に生きているということを、それを安易に語れない状況の中で再認識するようになったということです。24節に、「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。」とあります。大地震後発生した大津波によって壊滅的被害を受けた宮城県の沿岸地域、放射能汚染にあえぐ福島の地に立ってみるとその聖句が真実だと実感します。だからこそ、続く「しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」とのみ言葉が輝きます。

 支援の重要な目的の一つは希望を伝えていくことです。しかし、震災から4年が経った今も心に深い傷を負い当時を語れない人々、これから後数年にわたり仮設住宅(耐用年数2年)での生活を強いられる高齢の方々、放射能と将来にわたって向き合って生きなければならない人々、たやすく心機一転とは行かない状況にある多くの方々に接する時、安易な「希望」は語れません。ボンヘッファーは、恵みには「安価な恵み」と「高価な恵み」があると言いましたが、ペトロの言う希望とは、私たちの罪の代価を払い、復活されたイエスにある希望です。

 皆さんに覚えていただきたいことは、被災地にある方々の心の復興はこれからだということです。そしてまた、全国の教会より援助と協力を得て、支援活動の最前線にある現地教会のために祈っていただくことです。「支援」か「伝道」か?現地の教会は葛藤しています。「寄り添い」を選んだ東北連合の活動は、被災地の方々と深い絆を作り、「バプテストさん」なら大丈夫、と信頼を得るようになって来ました。「今しばらくの間、いろいろな試練に悩む人々」と共に、魂の救いを受けている者として、被災地にある最後のお一人が仮設住宅から出られるまで、そして、その後の関わりを模索することまで、生きている希望、主イエスにある復活の希望を持ちながら、「抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように」(3:15)備えて行きたいと私たちは願っているのです。

(小田衛牧師)


2013年2月8日  (過去メッセージのリンク)
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