巻頭言 

「いのちの水」ヨハネによる福音書41-26

  1. 悲しみ、痛みを覚える人、社会の底辺にいる人に関わって下さるイエスさま

ユダヤ人とサマリア人の対立は根深いものがあったようです。しかしイエスさまは、そのような対立を超えて、サマリアに入り、さらにこの町の人たちからも軽蔑され、人目を忍んで生きているサマリアの女に出会われ、イエスさまの方から声をかけられます。悲しみ、痛みを覚える人、社会の底辺にいる人に、イエスさまの方から声をかけて下さる。そのようなイエスさまは、現代の私たち、痛みを覚えているひとり一人に、いつもイエスさまの方から関わってくださるのです。

(2) 心の渇きを癒す「いのちの水」を与えて下さるイエスさま

暑い昼の12時ごろ、サマリアの女が井戸にやってきます。イエスさまから「水を飲ませてください」と言われたサマリアの女と「生ける水」について問答をします。イエスさまは、「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(14節)と言われました。このことが理解できないサマリアの女に、イエスさまは、女の夫の話を始めます。イエスさまは、「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。」(18節)と指摘します。過去を明るみに出されたことにより、サマリアの女は、イエスさまを救い主と信じることができました。イエスさまは、人からは受け入れてもらえないような者のところにでも、わざわざ近づいて、根気強く私たちに関わってくださり、渇くことのない「いのちの水」を与えて下さる方です。

(3) 私たちの教会が神さまから与えられている使命、役割

27節以降に、イエスさまに出会って、本当の自分を取り戻したサマリアの女は、すぐに走って町に行き、イエスさまが救い主であることを町の人たちに知らせます。教会は、伝道する群れです。特別集会の出席人数で一喜一憂してしまいがちですが、イエスさまは、ひとりのいのちの救いを大切にされました。サマリアの女が、イエスさまから「いのちの水」を与えられ、そのあふれるほどの「いのちの水」を町の人たちにも分かち合ったのは喜びがあったからだと思います。その姿に私たちの教会も学びたいと思います。本日、臨時総会にて、青葉教会の新しい牧師を決めていきます。無牧師の半年間、大変なこと、困難なこともありましたが、神さまは、必要な時に必要な恵みを与えてくださいました。私たちはこの無牧師の期間に学んだ主の恵み、喜びを大切に、新たな牧師と共に、イエスさまを宣べ伝えていく者となっていきたいと思います。(内田一郎)

2013年2月1日  (過去メッセージのリンク)
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