巻頭言
「不安を超える喜び」~私を知っていてくださる神さま~
マタイによる福音書2章7~15節
本日の聖書の個所はクリスマス、すなわちイエスさま誕生の後の出来事です。せっかく救い主イエスさまがお生まれになったのに、クリスマスの後、喜びとは言えない出来事が沢山出てきます。ヘロデの手から逃れるため別の道を通って帰って行った占星術の学者たち、生まれたばかりのイエスさまを連れてエジプトに逃げるヨセフとマリア、挙句にはヘロデによってベツレヘム周辺の2歳以下の男の子が殺されてしまうという残虐極まりない出来事、どれを取ってみてもクリスマスの後、喜びに満たされているとは思えない出来事ばかりです。しかし今日の個所を良く見ていくと、神さまを信頼して歩む時、不安やおそれの中にあっても、神さまが「私を知っていてくださる」、その喜びを発見します。
占星術の学者たちは、更に星に導かれ、幼子イエスのいる場所にたどり着きます。彼らは、ヘロデ王から「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」(7節)という依頼を受けていましたが、それを無視し、「ヘロデのところへ帰るな」(12節)という神のお告げに従います。占星術の学者たちに迷いはあったと思います、しかし彼らは、神さまが自分たちのすべてを「知っていてくださる」から、支え導いてくださると信じ、不安を超えて神さまの声に従いました。ヨハネも、「起きて、子供とその母親を連れてエジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこに留まっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」(13節)と天使から告げられます。イエスさまは生まれたばかり、マリアは出産直後、母体も心配な中、不安が頭をよぎったことだと思います。しかしヨセフは夜中のうちに、幼子とその母を連れて直ちにベツレヘムを脱出し、エジプトへと去りました。それはどのような状況の中にあっても、神さまは私を「知っていてくださる」と信じていたからではないでしょうか。
誰も知らないこと、わかってくれないことがあっても、しかし神さまは「知っていてくださる」、その神の恵みを知ったことが、学者たちにとって、ヨセフとマリアにとって、最大の「喜び」ではなかったかと思うのです。「私のすべてを知っていてくださる神さま」が共におられます。そしてそのイエスさまが、私たちに最善を与えてくださらないはずがないことを知っています。そのことを喜んで歩んで行きたいと思います。 (内田一郎)
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2013年12月28日 (過去メッセージのリンク) |
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