巻頭言
「他人の痛みと、自分の痛み」
本日の朗読「母」は三浦綾子の作品で、その作品に登場する母とは、小説家小林多喜二の母親のことです。
1903年に秋田の大館で生まれた小林多喜二は、「蟹工船」などの作品を残した小説家ですが、当時の特高警察により1933年2月20日逮捕され、築地警察署内において寒中丸裸にされ、握り太のステッキで打たれました。拷問は続き、警察署内で死亡しました。警察当局は翌21日に「心臓麻痺」による死と発表しましたが、翌日遺族に返された多喜二の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていました。
私たちは自分の痛みを他人にも知ってもらいたいと、いろいろな表現でその痛みを云い表わしますが、どう表現したところで、他人の痛みは想像でしか感じることはできません。本当にその人が感じている痛みと同じかどうかはわからないのです。まして、それが心の痛みだったらどうでしょうか。
私たちにとって、自分の痛み苦しみを他の人にわかってもらえないこのことが、大変辛いことなのです。
ヘブライ2:14-15「それは死をつかさどる者、つまり悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
私たち一人ひとりの痛さ、不安、重荷、それらをすべてご存知なのが神様です。その重荷を知って「休ませてあげよう」といつも語りかけて下さっているのです。
飯塚道夫
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2013年12月7日 (過去メッセージのリンク) |
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