巻頭言 

「成長」コリントの信徒への手紙一349

本日は「こども成長感謝礼拝」です。私たちの教会に与えられたこどもたちも、本当に立派に成長しています。神様に感謝です。しかし、本当の意味で成長するとはどういうことでしょうか。人間の記憶力や頭の回転の速さは、十代がピークです。肉体的な力という意味でも、二十代前半くらいがピークで、それ以降は衰えていくばかりです。成長とは、そこまでで終わってしまうものでしょうか。私たちが糧とする聖書は「成長」というものをどのように教えているのでしょうか。

 パウロがコリントの信徒に宛てて送った手紙にこうあります。

『わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。』(コリントの信徒への手紙一3:67

 当時のコリントでは、信徒たちが指導者であるパウロやアポロ個人に心酔し、派閥のようなものができてしまっていたことがうかがえます。そんな時にパウロはこう語ったのです。人間も教会も、自分や指導してくれる者が成長させるのではない、神様のみが成長をさせてくださる方なのだ、大切なのはその成長させてくださる神様だけなのだ、とパウロは言いました。人は自分の意志で背を伸ばすことができるでしょうか。親は子供に牛乳を飲ませることはできますが、成長させることそのものは神様でなければできないのです。

 成長させてくださるのは神様だけだという事を知る時、私たちは自由になります。成長というのは肉体だけのものではないという事を知ることができます。たとえ年老いてきたとしても、手足が動かなくなってきたとしても、神様によってならば成長させていただけるのです。

『人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。』 (マルコによる福音書10:27

 人の頭で考えれば、頭脳の回転の速さも、肉体的な強さも、その成長は若いうちで止まってしまいます。しかし、成長させてくださるのは神様であり、その神様は何でもできる方だという事を知っていれば、いつになっても、わたしたちは成長させてもらえるのです。

『あなたがたは神の畑、神の建物なのです。』とパウロは言います。神様に耕していただき、神様を自分の内に招き入れる者でありたいと思います。

高橋寛幸

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2013年11月9日  (過去メッセージのリンク)
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