巻頭言 

「全権委任」マタイによる福音書11:25〜30  
有名なテサロニケの信徒への手紙にあるパウロの言葉『いつもよろこんでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』は、いつも私たちにチャレンジを求め、また同時に心を癒してもくださる、素晴らしい言葉です。しかし、パウロがここであえて一言入れている『キリスト・イエスにおいて』とはどういう意味でしょうか。裏を返せば、神様はイエス・キリストにおいてでなければ、そんなことを人に求めたりしないということです。イエス様と言う方は一体何者なのでしょうか。
イエス様は、神様が人を罪から救うために与えて下さった独り子で、私たちのために十字架にかかり、私たちの代わりに苦しみを受け、私たちの罪を贖ってくださいました。そして、それを信じる者はみな永遠の命を得るという約束までくださいました。そのことはみんなよく知っています。しかし、イエス様の役目はそれだけで終わってしまったのでしょうか。違います。人を罪から救う事だけがイエス様の仕事ではなかったのです。
『御父は御子を愛して、その手にすべてを委ねられた。』(ヨハネによる福音書3:35)
『すべてのことは、父からわたしに任せられています。』(マタイによる福音書11:27)
神様は、イエス様にすべての人間を救わせただけではありませんでした。神様は御自分のすべての権威をイエス様にお与えになり、すべてを任せられたのだと書かれています。つまり神様はイエス様に「全権委任」されたのです。ですから、すべて私たちがすることは、イエス様を通してでなければ、神様の欲するものではないということになるのです。
エフェソの信徒への手紙にこうあります。『しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。』 私たちに与えられている恵みは、イエス様のはかりで量られています。私たちがネガティブに感じることも、実はそれが恵みであるということが多いです。人の目にはそう見えなくても、イエス様のはかりではすべてのものが恵みとなるからです。どんなことにも感謝しなさい、とはそういう意味でしょう。
神様に「全権委任」されたイエス様。私たちが恵みの中に生きるためには、私たちもイエス様に「全権委任」し、委ねて歩むことではないでしょうか。
高橋寛幸

 

                

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2013年10月19日  (過去メッセージのリンク)
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