<巻頭のことば>

「老いて白髪になっても」  ルカによる福音書22238

「わたしが老いて白髪になっても神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を来るべき世代に語り伝えさせてください。」(詩編71:18)

本日は、長寿感謝礼拝として守ります。人生と信仰の大先輩の皆様を心から敬愛し、尊敬しつつ、共に神さまの祝福をお祈りいたします。年老いると白髪になります。確実に訪れる「老い」と向き合わされ、死という現実に、不安や心配を抱くようになります。そこで「神よ、どうか捨て去らないでください」と祈ります。どんなに肉体や精神の衰えがあろうと、「神こそ我が救いの岩、砦」(詩編62編)と慕い求める人には、キリストの力強い御業が、人知を超えた神の平安が与えられます。信仰生活を長く歩んだ方には、その方にしか語れない信仰の証しがあります。語ることだけでなく、その方の生きざま、祈りの生活、それ自体が尊い生きた証しそのものです。そのような生き方をした二人の老人が、ルカ222節以降、登場します。 イエスさまがお生まれになって40日目、ヨセフとマリアは、幼いイエスさまを神殿に連れていきます。すれ違ってもこの赤ちゃんが救い主としてお生まれになったと知る人は一人もいませんでした。しかしこの幼子の正体を見抜いた人たちがいました。シメオンとアンナという二人の老人です。シメオンは正しい人、この時代にはめずらしい信仰の人でした。当時、イスラエル人が切に求めていたのは、ローマからの解放をもたらす強い軍事的力、強い指導者でした。しかし、シメオンは力ではなく、「慰められること」を求めていたのです。シメオンは、本物の救い主の到来を待望し、祈り続けていたのです。そして、聖霊の導きによって、幼子イエスさまに出会いました。シメオンはイエスさまの救いが、「万民のために」(31節)と言っています。救い主とはユダヤに限定される方でなく、全世界の救い主であることを語ったのです。一方アンナは60年以上も、やもめとしてずっと神殿で神に仕えた人でした。ユダヤの人々は救い主が現れて選民である自分たちのみが救われると思っていました。そこにイエスというキリストが現れました。シメオンに続き、イエスさまの中に光を見出し、讃美したのは異邦人であるアンナでした。この事はユダヤ人だけでなく、世界中の人々に救いがもたらされることを示しています。シメオンはこの幼子キリストを腕に抱いて祝福し、アンナはこの幼子のことを証していきました。二人の傍らには死がありましたが、生と死、大人と子ども、老人と若者、すべての隔てを超える神さまの力を感謝し、 福音を宣べ伝えていく者、教会を建て上げていく者となりたいと思います。

(内田一郎)

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2013年9月14日  (過去メッセージのリンク)
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