<巻頭のことば>

1課 バプテストとは」 執事/役員と牧師の協働より

 私たちは、クリスチャンになるときに、自分がバプテスト教会の会員になることをあまり意識しないでしょう。しかし、信仰が具体的、歴史的な文脈の中で導かれる以上、特定の「教派」に属するようになることも事実です。そうであれば、自分の属する教派の特徴を理解し、教会を主体的に担い、愛することが大切です。バプテスマをうけて教会員になる人たち、他派からバプテスト教会に転入会してくる人たちに対し、執事は牧師とともに、バプテスト教会の特徴を説明できるようになることも必要でしょう。

  バプテスト教会の成立

  バプテストが歴史的に誕生したのは17世紀の英国においてです。16世紀の欧州では宗教改革運動が始まっていましたが、その運動はローマ・カトリック教会からの独立を勝ち取ったとはいえ、幼児(嬰児)洗礼を温存し、信仰と「自然的きずな」の結合によって結ばれた「キリスト教社会」を残存させました。これに対しバプテストは、聖書にさかのぼり、聖書に証言されたイエス・キリストを信じる信仰に根ざすことによって、個個人の主体的信仰を尊重することを主張したのです。バプテストは米国においてさらに発展し、やがて日本にもバプテスト教会が誕生したのです。

 こうして、バプテスト教会の形成は近代社会の誕生とその成熟過程と切り離すことはできません。しかし、野放しの「自由」の主張は、弱肉強食の競争社会と「我がまま」を正当化する危険があります。バプテストは当初から単なる個人的信仰を超えて、主イエス・キリストにある礼拝共同体と各個教会の連帯を目指してきたのです。

 聖書には、教会の福音宣教の使命は明確に語られていますが、それをどのように担うかの「かたち」については、何か固定的な指示や主張があるわけではありません。教会の置かれた状況や文脈に応じてその都度、選び取っていく自由(Ⅱコリント3:17)を大切にして、聖霊の働きを文字や形式に閉じ込めないばかりか、教会の「職制」を固定したり「個人」の力量に固着させたりしません。

 確かに、教会の担い手として「監督」(フィリピ1:1、Ⅰテモテ3:1~7)や「長老」(使徒20:17、Ⅰテモテ3:8~13)という用語も登場します。しかし、バプテストは各個教会を超えて支配する恐れのある監督や長老の職務を避け、「牧師」(エフェソ4:11)という用語を用い、すべての権限と責任を各個教会の「会衆」に委ねます。

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2013年8月17日  (過去メッセージのリンク)
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