<巻頭のことば>

「双方向の愛から」マタイによる福音書181014

 挨拶をされたら、挨拶を返すのがあたりまえです。挨拶とは、返すことで、つまり一方向からではなく双方向になって初めて意味のある、尊い行為になります。

「愛」も同じだと聖書は教えてくれます。神様は私たち人間を一方的な愛、無償の愛で愛してくださっていると、聖書は言います。では、それは一体どんな愛なのでしょうか。まず神様はいつから人を愛してくださっているのか。エフェソの信徒への手紙でパウロは言いました。『天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。』と。神様は天地万物をお造りになる前に、すでに私たちを愛して下さっていたというのです。そして、創造の時、神様は御自分にかたどって人を創造されたと書かれています。御自分と同じ姿、つまり自分の子として愛をもって人を創造されたのです。また神様は、百匹の羊の喩え話にもあるように、迷子になった一匹の羊を、九十九匹を山に残してでも捜しに行かれる方、つまり私たちひとりひとりの顔を見て、私たちを捜して下さる方、わたしたちひとりびとりを、それぞれに愛して下さっている方なのです。これほど深い神様の愛に、私たちはどんな「愛」を返していけばいいのでしょうか。旧約聖書の時代は、神様がモーセに示した律法を守ることこそが、神を愛することだとされてきました。しかし、それが形式だけのものになり下がってしまった時、神様は言われました。ホセア書の6章6節です。『わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。』 神様は生贄や献げ物など要らない、私を知り、私を愛しなさい、とそう言われたのです。この言葉はイエス様に繋がります。イエス様は、律法の専門家が試そうと『最も重要な掟はなんでしょうか』と尋ねた時、このように答えられました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」イエス様は、神様を全身全霊をもって愛しなさいと言うのと同時に、同じ重さで「隣人を愛しなさい」と言われたのです。神様から一方向だった愛が、双方向の愛となり、それがイエスさまによって、三方向、四方向、そして無限の方向へと広がって行ったのです。そして、神様はそれを求めておられたのです。イエス様は言います。「私の羊を飼いなさい」と。九十九匹の恵まれた羊よりも、一匹の困っている羊に目を向けられる愛を持ちなさいとイエス様は言われるのです。双方向だけで終わってはいけない。愛は無限であると、イエス様は教えてくださるのです。

高橋寛幸

<

 

2013年8月10日  (過去メッセージのリンク)
毎週礼拝メッセージを更新しています。(過去メッセージのリンク)