<巻頭のことば>

「わたしも、あなたも」 ルカによる福音書192836

新しい青葉教会がスタートいたします。これからの青葉教会に、神様はどんな言葉を語って下さるでしょうか。不安もありますが、信じ、期待して、神様の御言葉を待ちましょう。

イエス様がエルサレムに入城される場面はとても印象的です。イエス様は王が乗るのにふさわしい立派な馬ではなく、小さな子ろばに乗って、自分の十字架の地エルサレムに入られました。イエス様は、まだ一度も人を乗せたことのない子ろばが見つかるから、引いてきなさいと弟子たちに命じます。「なぜほどくのか」と聞かれたら、「主がお入り用なのです」と言いなさい、と言われました。『無垢な子ろば』とは、神様の用に使うものは清くなければならない、という旧約の教えから来ていると言われます。しかし、それだけではないと思います。まだ人を乗せられない、重い荷物も運べないような、幼く弱い存在、その弱き者にイエス様はあえて「自分を乗せなさい」と言われたのです。「主がお入り用なのです」という言葉は、イエス様が「わたしにはあなたが必要なのだ」と言っておられるのと同じことです。自分にはなんの取り得も、能力もないと思っている者にも、イエス様は「あなたが必要だ」と言って下さる方です。私たちが神様を必要としているのではありません。神様が、イエス様が、私たちを必要としてくださっているのです。わたしも、あなたも、イエス様の必要によって、この場にいるのです。

教会には多くの必要な奉仕があります。執事や委員長だけが奉仕ではありません。乱れている聖書置き場を整えるのも奉仕です。落ちているゴミを拾うだけでも立派な奉仕です。小さなことも、大きなことも、神様は、イエス様は同じように必要として、必要な人に任せられます。そして、それを感謝して行う時、どんな小さなことであっても、喜んでくださるのです。自分は何をすればいいのか?何もしなくていいのか?と思い悩む必要はありません。イエス様は語りかけてくださいます。「あなたが必要なんだよ」と。

『教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場所です。』(エフェソ1:23)という御言葉があります。教会とは、すでにすべてが満ちている場所だと聖書は言います。これから、牧師が不在となる期間にも、そこにはイエス様が満ちておられます。安心して、わたしの、あなたのできることを行ってまいりましょう。

高橋寛幸

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2013年7月20日  (過去メッセージのリンク)
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