「良き知らせを」  テモテへの手紙二 4:1~5

 伝統的解釈によれば、この手紙は使徒パウロがエフェソで牧会していた若きテモテに宛てて、異なった教えに対する警告や教会の組織的な働き、そして個人の信仰生活などについて具体的に記されたものです。そして、皇帝ネロの迫害下にあったパウロ最後の手紙と考えられています。テトスへの手紙と並び牧会書簡と呼ばれ、牧会上の助言をテモテのみならず教会の人々に与えています。

 「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りをただし、義に導く訓練をするうえに有益です」聖書は信仰と生活、そしてキリスト者の土台で、日々親しみ、分かち合う神の恵みの言葉です。もし、誰かと毎日聖書の一か所でも共に読み、祈り合うことができたらそれは人生の宝となるものです。すぐに何かの役に立つということではないかも知れません。しかし、主イエスの約束「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35)との言葉を信じて、どんな時にもみ言葉き聞きながら生きる時、私たちは必ず支えられます。パウロは、テモテの信仰が彼一代にあるのではなく、祖母ロイス、母エウニケに継承されて強められたものであることを教えます。私たちもエンパワー(再び燃え立たせる)には時に触れ折に触れて聖書の言葉を活かして用いていきたいものです。神はそのために、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださいました。(2テモテ1:7)

「御言葉を宣べ伝えなさい。折がよくても悪くても励みなさい。」御言葉を宣べ伝えるとは、健全な信仰(主イエスを救い主と信じる信仰)をもってその豊かさを独り占めにしないことです。神の救いの恵みは、個人に留まらず、それを知らないがゆえに苦しみや飢えや痛みにある全ての人々に届けられる必要があります。神の恵みは、独り占めすれば足りなくなり、皆で分かち合えば有り余るのです。そして、私たちはその豊かさに共に与りたいのです。

 どの様な時代にも教会は世の光、地の塩として世に派遣されています。主イエスにあって呼び集められた私たちは、キリストの愛によって結ばれ、愛を学び、信頼すること、委託すること、そして互いに互いの弱さを知り認め合いながら、それでも自覚的責任を負いながら宣教する教会を築き上げて行きたいと願うのです。

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2013年5月25日  (過去メッセージのリンク)
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