<巻頭のことば> 「恵みの時コリントの信徒への手紙二6:1~10

経済的な繁栄を誇り、多様な人種、文化が混在したコリントの町でパウロは1年半に渡って福音を伝えました。力と勇気とに満ちたパウロと、私たちは考えますが、恐れや弱さもある人だったに違いありません。主は夢で「恐れるな。語り続けよ・・・・この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(使徒18:10)と彼を励まし、アジア州で投獄され鞭打たれ時、主は牢獄から彼を解放されました。(使徒16:25) 第一の手紙では、コリント教会の問題に正面から向き合い、厳しい言葉、具体的な指示などを与えたパウロでしたが、その後の教会の様子が気にかかりテモテを送り、いくつかの手紙を経て、この手紙を書いたようです。

第二の手紙は使徒パウロの人間性が溢れていると言われています。自分の弱さを率直に認め、迫害を受け生きる望みさえ失った果てに死者を復活させてくださる神を頼りにすることができたこと(1:8)、同労者テトスの安否が分からなかった時の不安に、救いの確信を与えるキリストの福音があったこと(2:12)など、彼の信仰は初めから強かった訳ではなく、忍耐により練られていったのです。

そして、色々あったコリントの教会、ギリシャにある信仰者たちに実感をもって、「わたしたちは落胆しない」と言い切り(4:1)、「キリストと結ばれる人はだれでも新しく創造された者・・・和解の務めに召し出された者」と語るのです(5:17)。

 私たちは思います。福音を伝えることはいつでもできる、恵みはいつも注がれており救いは延期可能なのだと。しかし、パウロはイザヤ書49:8を引用し、言います。「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた。」(6:1) この言葉は本来、主の僕、救い主に向けて語られた神の言葉です。パウロは、イエスの僕としてそれを受け、福音をいつでも恵みの時、救いの日とするために備えていたのです。

牧師辞任の出来事は、時が無制限に流れてはいないことを教会に知らしめます。「今や、恵みの時、今こそ救いの日」 との言葉は、人の救いに対する神の真剣さと福音宣教の重要さ緊急性を私たちに教えているのです。教会の務めの原点に私たちが立つ時、神の恵みが教会を導いていくに違いありません。

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2013年5月4日  (過去メッセージのリンク)
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