「それは正しいことか」 ヨナ書4111

あなたは最近、どんなことに怒りましたか?近頃はよく「キレる」という言葉を使ったりしますが、ささいなことで怒る人が増えているように思います。日常的な生活の中で感じるささやかな怒りもあれば、災害や国家単位で起きる事象への怒りなどという大きなものもあります。間もなくちょうど三年になるあの東日本大震災も、多くの怒りを生み出しました。未だその怒りの多くは解決、解消されずに残っています。また、今の日本と近隣諸国との関係も、怒りに対して怒りで応酬するというような恥ずかしい状況です。

当時のイスラエル民族にとって敵国であったアッシリアの首都ニネベが悪を行うのを主がご覧になり、ヨナを遣わして「四十日後に都は滅びる」と告げさせようとするのがヨナ書の始まりです。ヨナはその任務から一度は逃げますが、魚のエピソードを挟んで結局はニネベに行くことになりました。ヨナが主の言葉を伝えると、意外にもニネベの者たちは悔い改め、神様は都を滅ぼすことを思いとどまります。ヨナは主が心を変えたことに対して激しく怒りました。そのヨナに対して主はこう言うのです。「それは正しいことか。」....

イエスの弟子の一人であるヤコブはその手紙の中で「人の怒りは神の義を実現しないからです」と言い「怒るのに遅いようにしなさい」と書きました。怒りという感情自体を神様は否定されません。イエス様でさえも何度か憤られました。しかし、人の怒りは違います。人は怒る時、ほとんど自分を正義の側、正しい側に置きます。罪のない者がまず石を投げなさい、とイエス様が言われた時のような状態になっていることが多いのです。ヨナは自分の敵国の人間が救われること、そして神が決定を覆してまでそうしたことが、自分の正義に照らして面白くなかったのでしょう。そんなヨナの中での裁きに対して神様は「お前はそんなに正しいのか」と問いかけます。新改訳の聖書では「当然のことのように怒るのか」と書かれていますが、たとえ敵であっても、他人の不幸を願うような気持ちが本当に疑問の余地がないほど正しい事なのか、当然なのか、お前はそんなに正しい人間なのか、と神様は言うのです。

受難節に入りました。イエス様が私たちのために受けてくださったことを思い起こす時です。兄弟に腹をたてるな、と言われたイエス様の言葉の本当の意味を考え、日々心に平和を携えて行きたいものです。                              

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2013年3月9日  (過去メッセージのリンク)
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