落ち着いた生活」テモテへの手紙一 2:1~5

 先日、教会員の方のつながりもあり、執事方と共に福島市内にある福島旭町教会を訪問させていただきました。わずかな時間、限られた場所での被災地訪問でしたが、五感で触れ合う貴重なひと時でした。「被災地」や「被災者」という言葉で災害や事故のあり様を区別することの困難さを知りました。

 牧会書簡の一つと言われるこの手紙は、エフェソの教会で牧会していたテモテに宛てて送られたものだと言われています。著者問題は別として、手紙は信仰の基本となる教えや信仰生活の基本に言及します。それは、指導者に対する勧めや警告というだけでなく、信仰共同体全体に対する危機への備えでもあったと言えます。実際、エフェソの教会では信仰に挫折し離れて行く人々もありました。

 「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。」

その勧めは、困難や危機の只中に主はおられるという確信と感謝に基づきます。「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け 勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」(イザヤ41:10)とイザヤは語りますが、教会は、自らもその危機の中にありながらも成せるわざがあります。遣わされた地域のための祈りです。放射能汚染のただ中にある方々が、訪問した私たちに願われたのは第一に「祈り」でした。私たちの心を打ったのは、集った子どもたちの真剣な祈りでした。それは、自分に与えられた神様の恵みに対する祈り、家族や地域、他者への執り成しの祈りで、その祈りは暗唱聖句の蓄積と讃美から生まれたものでした。放射能の影響から人口減少、少子化、深まる心の問題、と教会は無関係ではありませんでした。しかし、そこに希望と勇気を与えるのは祈りであると言うのです。パウロは、「王たちやすべての高官のためにも」祈りなさいと勧めます。

 「平穏で落ち着いた生活」 それは、衣食住すべてが満たされた生活ではないことは確かです。放射能の見えざる脅威の中で、現地の人々は平穏で落ち着いた生活とはほど遠い生活をしておられます。子どもたちへの健康被害の現実は甲状腺異常という形でひたひたと迫り、しかも心の被害まで想定はしていません。

でも、「死」をも含めた現実の只中に、救い主イエス様が共におられる真実を信じて生き、証しして生活する教会、「教会がなければ町全体が暗くなる。」と頑張っている教会があることを私たちは忘れてはなりません。共に祈って参ります。

 

2013年2月2日  (過去メッセージのリンク)
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