「向こう岸へ」マルコによる福音書4:35~41

 今年3月、私たちの教会は新しい会堂が与えられ、宣教の新たな船出をいたしました。2006年、にわかに起こった借家であった会堂の立ち退き話から土地取得、そして新会堂建築と、期待と不安とに満ちた道のりでした。「主が建ててくださるのでなければ家を建てる人の労苦はむなしい。」(詩編127)との御ことばに立って寄り頼んだ歩みに、主は私たちの思いを超えて応えて下さいました。感謝。

 「向こう岸には神のご計画がある」 時々、イエス様は私たちにチャレンジされます。神様を信じる者たちの人生には試練も苦難もあります。パウロは、「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:23)と語り、信じる者の試練には意味があり神のご計画と助けの道があることを教えます。信仰は人生を無意味に終わらせません。

 「向こう岸の前には越えなければならない嵐がある」

イエス様を乗せた舟は途中、「激しい突風」に遭遇します。マタイ書では「激しい嵐」と表現されていますが、もともとは「地震」という意味の言葉です。大地だけでなく空気も水にも激しい揺れが起こり、私たちは不安と恐れに襲われることがあるのです。大震災だけでなく、今年もフィリピンの大型台風、伊豆大島の全島避難という台風災害などがありました。熟練した地震学者や気象学の専門家でさえ予期せぬ大自然の激しい揺れが起こりえます。そして、私たちの人生しかりです。

 「向こう岸に主はおられ、行く道にも共にいてくださる」

「向こう岸」は未知の世界、自分の限界や常識、計画や想像を超えた世界かもしれません。そこには「不安」や「恐れ」が立ちはだかります。越えなければならない「海・湖」は昔も今もその象徴です。しかし、そこにはいつもイエス様が共にいて下さるのです。主イエスは逆巻く風と荒れる波を静め、弟子たちに「なぜ怖がるのか。まだ信じられないのか」と叱責されました。主イエスの行為は弟子たちの問題を取り去ることにあるのではなく、「恐れてはならない、私が共にいる」ことを教えることにありました。人生の問題、試練や苦しみとの遭遇は一度二度では済みません。

 この一年、神様にいただいた多くの恵みを数えながら、新しい年「向こう岸」に主の約束が確かにあることを信じ、恐れず、共に歩んで参りましょう。感謝。

2013年12月29日  (過去メッセージのリンク)
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