「愛されて」ヨハネの手紙第一4:9

 ヨハネは、おそらく弟子たちの中で一番長く生き、生き証人としてイエス・キリストが神の子であることを証言し、偽りの教えに対しキリストの真実を次世代に伝えようとしたのだと思われます。それは、今の時代にも伝えられる良き知らせです。

 「神は愛である。」とヨハネは語ります。それは、神の愛のうちに生まれてこなかった人など一人もいない、ということです。クリスマスは、世界の人々がすべて神の愛の対象となっていることを覚える日と言えます。「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。」(ローマ5:6)とパウロは語ります。神の愛はキリストにおいて徹底され、そこに差別はありません。イエス様は、盲人が生まれつき目が見えないのは神の業が現れるため、と答えられました(ヨハネ9:3)。盲人の障害は神に愛されていない証拠ではなく、行いに原因があるのでもないというのです。今日の競争社会、成果主義の世の中にあって、神の愛は単位取得や偏差値によってではなく、信じることによって現され、一人ひとりの生涯に神の恵みのご計画があることを示します。

 「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。」重要なのは「その方によって」という言葉です。使徒言行録4章で、ペトロは生まれながら足の不自由な人を癒したかどで議会で取り調べを受けます。そして、証言しました。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが、救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間に与えられていないのです。」神の子の名が40年間も障害を負っていた人を躍り上がって立たせ、歩き始めさせたのです。神は「その方によって」私たちが世にあって生きるようにして下さいました。他の誰でもない、不条理の十字架に死なれたイエス様に神はその愛を示されたのです。イエス様のもう一つの名「インマヌエル」(主我らと共にある)は、どんな時にも神が私たちと共にある約束の名です。主イエスを信じる者、神から生まれた者は皆、世に打ち勝つ・・だれが世に打ち勝つか、イエスが神の子であることを信じる者ではないか(5:4)、とヨハネは確約します。豊かな主がわたしたちのために貧しくなられ、それは主の貧しさによってわたしたちが豊かになるためでした。(2コリント8:9) クリスマスは、それ程までに私たちが神に愛されていること喜び祝う時です。私たちは神に愛されて、生きる者となります。


2013年12月15日  (過去メッセージのリンク)
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