「日々新たにされて」 コリントの信徒への手紙二41618

 コリントの信徒への手紙2は使徒パウロの書簡の中で彼の人間味が最も現れているものと言われています。信仰者、伝道者として強く、恐れを知らない人と捉えられがちな人ですが、この手紙では、彼の苦悩、不安、恐れ、弱さが正直に綴られます。そして、その経験から彼が学んだのは、「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになった」こと「神が、死の危険から救ってくださったこと、これからも救ってくださるに違いないと、神に希望をかけている。」こと(1:9,10)でした。この世の「弱さ」の中に、彼は本当の力を見つけました。

 私たちプロテスタントの信徒が聖典とみなす聖書は、旧約と新約からなります。その印象から旧約の神様は「厳しい」方、新約の神様は「優しい」方と捉えてしまいがちで、旧約は古い約束()、新約は新しい約束()と単純に捉える恐れがあります。イエス様やパウロは「新しい」という言葉を単に「新品」「新鮮」「若い」という意味の「ネオス」だけを用いてはいません。むしろ、パウロが「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じました。」(5:17)と、人の内面、霊的な事柄について語る時は「カイノス」すなわち、「素晴らしい」「予期していない」「思いもよらない」、そして、「古びない」「錆びない」「朽ちない」「滅びない」ものとして用いています。

 この世では、新しさ、若さに価値を置きます。しかし、それは変わり行くものです。パウロが「わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの“外なる人”は衰えていくとしても、わたしたちの“内なる人”は日々新たにされていきます」と言うのは、気持ちにおいて若くあれと言うことではなく、キリスト・イエスを信じる者は歳をとっても古びず錆びず朽ちる必要がないということです。状況がどうあれ信仰は、今の自分が最高であること、今を最高に生きる希望を生みます。苦しみのただ中にある人の傍にキリストはおられます。彼の十字架の苦しみはあふれて、わたしたちに及び、キリストの復活に示される弱さの勝利は私たちを慰め、他者を慰める力となります。主の慈しみは絶えず、憐れみは尽きず、朝ごとに新たにされます。

2013年9月15日  (過去メッセージのリンク)
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