愛の挨拶」 ルツ記21節〜7

わずか4章の物語ですが、ルツ記は困難な状況の中にも自分らしく生きた女性たちの物語と、ルツの曾孫ダビデ王に続く神の救いの計画の確かさを記します。

飢饉、非難生活、別離、そして帰還と、イエスラエル暗黒の時代に生きたひとりの女性ナオミは激動の人生を送ります。異邦の地モアブで得た嫁たち、オルパとルツは彼女の喜び、夫と息子たちとの死別は悲しみの極地の体験でした。オルパと別れ、故郷ベツレヘムにルツと共に帰還したナオミは率直に町の人々に語ります。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。」人は苦しいからこそ、その苦しみに意味と希望とを与えることのできる力ある方を求め、その苦しみを訴えることができるのだと私は思います。そんなナオミの信仰に真の神を見つけ、自らの神と告白し、姑に淡々と仕えるルツに神の恵みの業が働き始めます。 

「見よ!」(原典に記載)と聖書はボアズを登場させ、農夫たちとの出会い、ルツとの出会いに導きます。ボアズが農夫たちに「主があなたたちと共におられますように」と言うと、彼らは「主があなたを祝福してくださいますように。」と答え、彼はルツに親切と親戚としての義を尽くします。申命記に、「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される。」(申命記2419)とあり、社会福祉の原点を覗わせます。神はどんな危機的時代、困難の時代にあっても、神を中心とし、神と人とに忠実な人びとを通して働かれます。世がどうであれ、他者を助け、分かち合う人々に神は近いのです。イエス様は言われました。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25:40) 

混乱、憎悪、恐怖、堕落が支配し、困難な社会にあっても、私たちは十字架に架けられ、甦られたキリストにあって自分らしく生きる道が開かれているのです。彼らに与えられた祝福は、この世の繁栄ではなく、どのような状況の中でも朽ちることのない愛という絆、共にいるという約束でした。シャローム(平和)の挨拶を交わし、主イエスにあって赦されている者として生きて行きたいものです。

2013年9月1日  (過去メッセージのリンク)
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