何をしてほしいのかマタイによる福音書2029節〜34

ふと、自分の祈りはこれでいいのだろうか?と思うことがあります。感謝の祈りと共に、私たちは、ああしてください、こうしてください、という祈りを神様に対してしてしまいます。「求めなさい」「しつように頼めば」と神様は仰いますので、間違ってはいないでしょう。ただ、のべつまくなしに求めてばかりというのもどうでしょうか。「求めなさい」という一方で、イエス様は「くどくどと祈るな」「父は願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」とも仰います。すべてをご存じの神様は、かならず良いようにしてくださるから、すべて任せなさいということです。しかし、すべてを丸なげにして、なるようになるさと神様任せにしてしまうのもどうでしょうか。祈りに正解は無いようにも思えますし、すべてが正解のようにも思えます。そんな中で、イエス様が二人の盲人を癒された奇跡の場面で言われた言葉が、大切なことを示しているように思えます。「憐れんでください」と言う盲人を呼び寄せてイエス様は言いました。「何をしてほしいのか」。イエス様はわかっていたはずです。この盲人たちが何をしてほしいのかわかっていながら、あえて「何をしてほしいか」と二人の意志を問うたのです。神様は私たちに同じことを求めておられるのではないでしょうか。様々な悩みや苦しみを神様に打ち明け、祈る時、神様は「では、あなたはなにをしてほしいのか」と言われます。私たちは群衆の中から叫ぶだけではなく、ちゃんと神様の前に自ら一歩踏み出して、自分のしてほしいことを伝えなければならないと思います。神様への責任を持った祈りに対して、神様は必ず解決の道を備えてくださいます。

8月は、広島、長崎、そして敗戦と、日本という国にとって忘れてはならない月です。平和を、平和を、と口先では言いますが、私たちは本当に心から切実に、それを求めていると言えるでしょうか。戦争より平和がいいに決まってる…で終わってはいないでしょうか。今こそ神様にどうしてほしいのかを、具体的に祈っていかなければならない時だと感じます。神様、日本の平和憲法をお守りください。

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2013年8月18日  (過去メッセージのリンク)
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