「試練の中にも」コリントの信徒への手紙第一 10:13

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」 

この言葉に慰められ励まされ試練に耐え、この言葉をきっかけに神様が真実な方であると信じる信仰に導かれた人は多いと思います。使徒パウロのこの言葉が心に響くのは、彼がコリント教会にある信徒たちの苦悩を体験的に知り、信仰から離れていくことの深刻さを良く知っていた人の言葉だったからでしょう。神様を中心とした生活を送る困難さはコリントの教会の人々に限ったことではなく、今を生きる私たちにも共通のものです。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:1)とありますが、その信仰で生き続けることは簡単なことではありません。コリントの教会では、試練ゆえに信仰から離れていった人々もいたようです。だからこそ、パウロは厳しい警告を彼らに与えました。試練が大きければ大きいほど、信じたいと願うゆえに私たちは葛藤します。でも、それが本当に神様と向き合うということであり、試練を通して私たちは神様が真実な方であることを繰り返し繰り返し学び確信していくのだと思います。

  1. 試練は誰にでも起こる。

  2. 乗り越えられないような試練を神はお与えになれない。

  3. 神は、間違っている選択から即座に逃れることを願っておられる。

  4. 神は、ありのままのあなたの祈りを求めておられる。

  5. 神は、神を信じる人や友達と祈り分かち合うことを求めておられる。

「逃れる道」は、解放される道、キリストにより与えられる自由の道だと私は思います。パウロは、イスラエルの人々が奴隷の地、エジプトを脱出した時、海を通り奇蹟の洗礼を受け、恵みのマナを食べ、霊の岩から飲んだ、その岩がキリストであったと象徴的に語りました。この世にあって、神に従って生きることの困難さを主はよく知っておられます。だからこそ、試練の中にも神が真実の方であり、共におられることを信じ続ける戦いをイエス様は今日も共に担ってくださいます。

2013年8月4日  (過去メッセージのリンク)
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