羽毛でなく、鳥の軽さで」フィレモンへの手紙1~3

この手紙の差出人はパウロで、受取人はフィレモンであることは前回触れたことです。手紙の内容は、フィレモンの所で働いていて悪事をなし逃亡した奴隷オネシモを赦し、再度、受け入れて欲しいといお願いの手紙、私信です。なのにも拘わらず、パウロは、この手紙の差出人に「テモテ」(1)の名を加えているのです。丁寧に読んでも、殊更、テモテの名を出すような内容は、この手紙の中には含まれていません。
細かい説明になりますが、この手紙には、一人称複数形「わたしたち」が4回使われているのに対して、単数形の「わたし」は、20回にも及びます。また、二人称複数形「あなたがた」は2回で、単数形の「あなた」は、22回も使われています。このことは、明らかにこの手紙は、「わたし」即ち、「パウロ」から、「あなた」即ち「フィレモン」への私信であることの証拠です。
それなのにパウロは、差出人をテモテとの二名連記にしているのです。それはどうしてなのでしょうか。パウロが書いた手紙は、13通です。その中で差出人の複数連記の手紙は7通です。その中でテモテの名が書かれている手紙は、6通もあるのです。テモテは、パウロにとっては無くてはならない『助け手』『協力者』であったことを物語っています。また、パウロは、大きな伝道旅行を三回しています。その中の二回は、二人は一緒です。パウロにとっては、テモテは、間違いなく『良き助け手』であり、『良き協力者』だったのです。そのテモテをパウロは、フィレモンにどのように紹介しているのでしょうか。『良き助け手』とも『良き協力者』とも書いていません。『兄弟』と書くのです。
兄弟同志の関係は、最も近い関係の一つでしょう。「主にある兄弟」は、更深い関係、祈りの関係、祈り合う群れです。フィレモンが、この手紙の中にテモテの名を見つけたとき、オネシモのことについて詳しいことを知らなくても、パウロだけでなく、テモテもこのことのため・・即ち、和解と赦しのために真剣に祈っている姿を想起したことでしょう。フィレモンにとって、オネシモを赦し、迎えないわけにはいかなかったことでしょう。教会は、このような愛と赦しと祈りに彩られた群れなのです。(田 中 仁 一 郎)

2013年6月2日  (過去メッセージのリンク)
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