「新しい救い」マルコによる福音書2:18~22

「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」。

ヨハネ福音書では、イエス様の最初の奇蹟の時が婚礼の場であったことが記されています。そこには、イエス様によってもたらされる福音が婚礼の時のようなしきたりに縛られない喜びと祝福を与えるものとして描かれています。そこでは、祝いのぶどう酒が尽き、空となった水がめに入れた水を最上のぶどう酒に変えて神の栄光を現された主がおられます。新しい服も新しい酒も神の恵みの象徴です。

今日は、ペンテコステの日、復活から50日が過ぎ、主の約束の通り、聖霊が信じる者たちに下り、教会が生まれたことを記念する日です。使徒言行録2章はその出来事を生き生きと今に伝えます。「一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」とセンセーショナルな出来事として書かれています。ともすれば私たちは、聖霊の働きはそのような劇的なことをもたらすものではないかと考えてしまします。しかし、その力強い聖霊の働きによって使徒ペトロとともに変えられたパウロは言います。「神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また聖霊によらなければだれも『イエスは主である』とは言えないのです。」 生身の人間が内面的に変えられることほど奇蹟はないと私は思います。絶望の中にある人が、復活のイエスの命(福音)に触れる時、人の思いをはるかに超えた神の平安と希望に、祝いのぶどう酒のように満たされます。

古いしきたりや自分に捕らわれ、イエス様が救い主であることを示す奇蹟のわざ新しい救いのわざに心を開くことのできなかった人々にイエスは言われます。「新しいぶどう酒は新しい革袋に」と。「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ12:2)と聖霊を受けることをパウロは勧めます。

2013年5月19日  (過去メッセージのリンク)
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