「主の救い」という名を与えられた預言者イザヤは、南王国ユダの王ウジヤの死後、預言者として立てられました。その頃、強大なアッシリア国は北王国イスラエルを滅ぼし(BC721/722)、南のエジプト王国との狭間にあり属国であったユダもその手を伸ばそうとしていました。イザヤは、大国の間にあってつかの間の繁栄を欲しいままにしたユダの指導者たちに警告を与え、将来アッシリアやバビロニアの圧倒的な武力の前に滅びていこうとしている民に本当の平和の訪れを預言します。イスラエル人の神に対する背信(富める権力者たちの驕りと、盲目的にそれに同調する民)は大国によって侵略されるという形となって現れていきます。しかし、神はそれでも、焼き尽くされ切り倒された切り株のように成り果てていくイスラエルに、新芽、救い主のしるし「インマヌエル」の名をお与えになります。

「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」 彼らとは直接的にはユダとエルサレムの人々と捉えることもできますが、神の言葉を聞こうとやって来るすべての人と言うこともできます。その時、その手に彼らが持つものは壊すものから恵みを育て収穫するものに変えられるとイザヤは言います。世界は一人の優れた指導者よりも、一人ひとりが歴史に学び、与えられた恵みを分かち合い、神ならぬものを神としてしまう人間の弱さを自覚した上で、民主的であるために意思をもって生きる人を求めています。そして、神は、主イエスが苦難を負い、十字架の死より甦られたように、一見弱く不幸で小さく見えることの中に、人を立ち上がらせ救う力があることを信じる人、神を信じ中心に置く人を求めておられます。主イエスが、訴える者たちに用いられた道具としての知恵(安息日に許される行いマタイ12:9、神殿税についてマタイ17:24、皇帝への納税マタイ22:16、復活についての問答、マタイ22:23姦通の女の赦しヨハネ8:3・・・)に学び、武力によって戦うこと、人間の力によってではなく、神の知恵であるキリストの平和を構築していく者となりたいと願います。

2013年5月5日  (過去メッセージのリンク)
毎週礼拝メッセージを更新しています。(過去メッセージのリンク)