剣を鋤として」 マタイによる福音書265156

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」

 「平和の君」と呼ばれたイエス様(イザヤ9:5)はついに弟子ユダに売られ、祭司長たちや長老、群集は皆イエスを捕えるために武器を持ってゲツセマネの園に集結しました。イエス様は「わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕えなかった。」と、ずっと彼らとの関係、対話を求めておられました。イエス様は一対一の関係を大切にされました。

 明日211日は暦の上では日本の「建国記念日」ですが、内政、外交、防衛、経済諸問題が複雑に絡み合う現在、政府は戦後解体された国家神道を回帰させ、天皇制による国家の統一に動き続けています。1966年、旧「紀元節」を「建国記念日」と定め、それを基点に「靖国神社法」「元号法」の制定、靖国神社公式参拝、国旗掲揚、国歌斉唱の公立機関への強制、そして今、それが私立機関にも及び始めました。自民党の憲法改正草案は天皇を「元首」とすることを基本にしています。それによれば、国家神道、神社神道の行事や行為は宗教ではなく社会的儀礼、習俗的行為とみなされ、日本の良き文化伝統であり守るべき規範とされ義務化されつつあります。危機感がそうさせているのかも知れません。

 現憲法前文に「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあります。「恐怖と欠乏」は戦争と暴力の温床だと言われています。隣国との関係に恐れを抱き、大地震、原発問題、超高齢化社会、環境問題などを通して欠乏の恐れを感じる私たち自身が今、問題解決の理念をどこに置くかかが問われています。先の大戦による甚大な犠牲に立って創出された平和憲法が信教の自由とともに全体主義の流れに飲み込まれない注意が必要です。それと同時に、イザヤが「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」と語るように、神がどのような危機的状況にも共にいて、信じる者を平和の道具として下さることを信じ福音を語り続けていく必要があります。

2013年2月10日  (過去メッセージのリンク)
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