「主を待ち望む」 ルカによる福音書2:25~35

来週からアドベントに入ります。日本では最近「アドベントカレンダー(クリスマスまでの日めくりカレンダー)」が流行り、様々なものが売られています。昔は、「もういくつ寝るとお正月」と歌ったものですが、待つ楽しみは今も昔も変わらないようです。しかし、クリスマスに大切なことは、何をどのように待つかということです。

シメオンという人がいました。彼は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた人でした。そして、際立ったことに彼はメシアに会うまでは決して死なないとのお告げを聖霊から受けていたのです。現代に生きる私たちはお告げを受けることは別にして、「待つこと」が苦手です。問題が起こるたびに「早く、早く」「何とかしなければ」と動かないではいられません。それは、私たちが神とその愛に支配されることなく「恐れ」に支配されて生きているからではないでしょうか?「恐れ」にとりつかれた人は、何事に対しても待つことができません。シメオンは神の約束を「信じて待ち望む」人でした。

マリアもまた、「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を生む・・」(1:30)との天使の御告げに戸惑い恐れながらも、「神にできないことは何一つない」と教えられ、「お言葉どおり、この身になりますように」とそれを受け入れ神を信じ神に従いました。「待ち望む」ことは、今は理解できなくても、やがて明らかになることを信じ忍耐して生きる積極的な態度であり、結果に対しても開かれている生き方です。待つことの秘訣は、み言葉の種は既に蒔かれており、そこに何かが、神のご計画が始まっていることを信じることです。

イスラエルの人々は何百年にも渡る支配と隷属という暗黒の時代に、それでも自分たちの力で何とかしようともがき、力強いメシアを求めていました。そこに与えられたのは、小さく弱く、助けを必要とする幼子でした。しかし、その子こそ、自分中心に生きてしまう私たちの本心を明らかにし、私たちの反対を受け、十字架に死んでくださった真のメシアです。私たちが神を待ち望んだからではなく、神が私たちを待ち望んで下さった故に、私たちはその御子の降誕を待ち望みつつ、今置かれた場所で、神と神のご計画とを信じて前向き積極的に生きるのです。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」(黙示録3:20) 御子キリストのご降誕の知らせを聞く人の内に既に何かが始まっています。

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2013年11月24日  (過去メッセージのリンク)
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