「選ばれた者、神の約束」 マタイによる福音書20116

今年はプロ野球がとても盛り上がりました。何と言っても、楽天イーグルスのマー君こと田中将大投手の活躍は抜きん出ていました。彼に限らず、活躍した選手はたくさんいます。まさに選ばれた才能、選ばれた存在と言ってもいい者たちです。そして、たとえ今年は活躍できなかった選手たちも、プロ野球の選手であること自体が、多くの者から見れば、すでに選ばれた存在と言えるのでしょう。

人間は妬む動物です。十戒の最後の戒めにもあるように、それは人がまったく捨て去ることは難しい罪だと思います。活躍するスポーツ選手たちを見て、羨み、妬みさえする人もいると思います。才能や能力の豊かな人を見て、『なんであいつだけが』『どうして自分は』と妬み、自分は選ばれていない存在だ、自分の存在に意味は無い、と思ってしまう人さえいるでしょう。しかし、聖書の言うことは少し違います。

有名なぶどう園の労働者のたとえ話です。主人は、明け方から一日中働いた者と、後から連れて来て1時間しか働かなかった者とに、同じ約束の賃金1デナリオンを支払いました。当然、明け方から働いていた者は不平を漏らします。しかし、主人は『あなたに不当なことはしていない。あなたとは1デナリオンの約束をしたではないか。あなたは私の気前の良さを妬むのか』と、逆に不平を言うことが罪であるかのように言い返されました。このたとえでは、主人とは神様です。一見、不公平に見える神様も、一人一人と個々に結んでいる約束は必ず守ってくださる、という絶対の公平さを持っています。しかもそれは、神様がまず私たち一人一人を別々に選んでくださったという恵みから始まっているのです。

100メートルを10秒で走れる人がいます。しかし、自分の脚で歩くことすらできない人もいます。神様はその両者を別々に選び、別々の約束をしてくださっています。そして、その最終的に行き着く場所が同じになるよう、完全な平等を用意して下さっているのです。

『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。』と神様は仰います。あなたも、私も、隣のあの人も、神様から選ばれた者なのです。わたしに選ばれた者が、わたしが選んだ者を妬むのか?と神様は言われます。人を妬ましいと思ってしまう時、今一度、自分と神様がどんな約束を結んでいるのか、思い返したいと思います。そこには必ずあなたにしかない恵みがあるはずなのです。                                     高橋寛幸

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2013年11月17日  (過去メッセージのリンク)
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