「授かりもの」 エフェソの信徒への手紙6:1~4

「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。『父と母を敬いなさい。』これは約束を伴う最初の掟です。『そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」

 パウロのこの戒めは、旧約聖書の十戒の人間関係における最初の戒め「あなたの父母を敬いなさい・・」を基にしていると思われます。明解な規範です。しかし、現実は簡単ではありません。昔、私は思春期を迎えた時、親との間には隔たりを感じました。私には自我の葛藤があり、親は私のことが理解し難かったようです。私の経験からも、親は厳格に厳しいだけ、あるいは優しくするばかりでは問題は解決しないようです。神様を知って私は親を敬うことの本当の意味を知りました。

 エフェソ書では「キリスト」の名を61回、「キリストにあって」とキリストに帰する類いの言葉を19回も使い、神の約束の言葉をイエス様との関係無しに使うことはありません。先立つ5章でも親子関係を語る前に夫婦の間にキリストと十字架に示された犠牲の愛の必要が解かれます。人間関係にはキリストの香りが必要です。

 「子どもは授かりもの」と言いますが、預けられたものならお返しし、整え献げていくこととも言えます。「子供を怒らせてはならない」とありますが、子どもを甘やかし子どもの言いなりになることでないことは明らかです。むしろ、親自身が神の代理者として子どもが自分自身で神の前に立つ時まで責任と権威を与えられていることを自覚し、子どもを励まし、忠告し、時には叱責し、子どもが健やかな自尊心を持ち、自分の感情をコントロールできるように訓練していくことなのです。世の中に完全な親はいません。親になるための資格試験もありません。しかし、私たちは結婚や子育て、人間関係を通して、自分自身の親子関係を振り返り、自分自身を育て直し共に成長することができます。今の世の中でパウロの戒めは時代遅れかも知れません。しかし、人間関係に神の摂理があることを謙虚に受け止めさせ、私たちの心の内にキリストを住まわせ、愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者となさせてくださるのは神様です。キリストに向かって成長して行きたいものです。


2013年11月10日  (過去メッセージのリンク)
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