「天の国の法則」 
マタイによる福音書133133

イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」

南王国ユダが陥落する前(BC.597)にバビロンに捕囚として連行されたエゼキエルは、ユダの罪を糾弾し、人の手によらない神の国の回復を告げました。「主なる神はレバノン杉の若枝を高くそびえる山に移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる・・。主であるわたしがこれを語り、実行する。」17:22-24 預言者不在という400年の時を経て、メシア待望の果てに現れたイエス様の言葉と業は驚くべきもので、神の救いの計画はイスラエルを越え、すべての民族、国民に及ぶことを預言されました。そればかりでなく、この世のどのような妨害や障害があろうとも、人の力や知恵によってではなく、神ご自身がその救いを達成し、この世は神との和解に安らぐようになると約束されるのです。

 「小さなからし種」は小ささの最たるものとしてイエス様は語られます。しかし、その中に救いの「きっかけ」「実現」「成長」と「継承」の力がすべて備わっているのです。ベツレヘムの家畜小屋で生まれたイエス様が、ガリラヤの寒村ナザレで育ち、神の国運動を始め、十字架に死なれたにも関わらずその良き知らせ、福音は今、全世界に及び多くの人々に影響を与え続けています。 

「救い」とは聖書によれば、罪からの存在を賭けた救いです。罪とは本来ある姿があべこべになっている状態のことを言います。社会の成り立ちや人間関係、この世が神の思いとは逆になっていることです。教会はその回復とリハビリのために召し出され戦っているのです。それは、世を神につなぐ、自由への戦いと言うことができます。間違いに気付いても、何に向かって修正していけば良いのか今世界は混乱しています。「からし種」ほどの信仰に世界を変える力があるなどと私たちにはにわかには信じられません。でも恵みの信仰、主イエス・キリストが自分の弱さ、罪のために死んでくださったことを信じ、福音の種を取って畑(世界)に蒔くなら、驚きと不思議の変化が周りに起こります。そして、ある日、一番変わったのは自分であることに気が付き感謝の意味が少し分かるようになる。それが天の国の力、神の恵みの力なのです。私たちは、イエス様の約束に生きます。

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2013年10月27日  (過去メッセージのリンク)
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